浦賀ドック
懐古写真館

 住友重機械工業(株)浦賀工場の前身は,1897年(明治30年)創業の浦賀船渠(株)。英語名がUraga Dock Co. Ltdだったことから,地元の人々は「浦賀ドック」又は単に「ドック」と呼んでいた。工場はその後,浦賀重工業(株)浦賀造船所,住友重機械工業(株)浦賀造船所,同浦賀工場と変わり2003年3月に105年余の歴史に幕を閉じた。そこで,105年余にわたるドックの変遷を同社の創業100年記念誌「浦賀・追浜百年の航跡」と私が撮りためた写真の中から,特に印象に残るものをご紹介したい。
   

江戸末期~明治初期の浦賀造船所
「浦賀・追浜百年の航跡」
  

人力で入渠する艦艇  1897年(M30年)頃
「浦賀・追浜百年の航跡」
 

空から見た「浦賀ドック全景」. 1959年(S34年)
「浦賀・追浜百年の航跡」

湾内で方向転換中の9万DWT級鉱石船  1967年(S42年)
「浦賀・追浜百年の航跡」
 

浦賀湾周辺全景  1975年(S50年)
「浦賀・追浜百年の航跡」
 

2024年(R6年) テレビ朝日「帰れマンデー見つけ隊!!」
 
谷内六郎「週刊新潮・表紙の言葉」
ドックの祝日
1976(S51)
  
 静かなドックの昼さがり、進水式らしく船の先にクス玉が割れ青空にテープが舞いました。造船日本という位で日本の海岸線には沢山巨大なドックがあります。あんまり巨大すぎて部分的にカットして見ないと絵にしにくいのが船の工場とか車の工場です。

 この絵は三浦半島の浦賀ドックのわきにあるお寺のある山からスケッチしたものをもとにして描いたものです。三浦海岸の浦賀水道は東京港や横浜港に出入りする内外の汽船できりもないです。あらゆる型の船が出入りしています。中にはあれが船か?と思うようなものすごいクレーンをつけた工場の箱のようなものも来ます。

 水面スレスレに砂利をつんだかなりコギタナイ船も入って来ますが、コギタナイ労働船ほど収入がいいのだと聞いたりもしました。アラビアの方に行く石油のタンカーもきりもなく通ります。浦賀、黒船来るの時代は遠いまぼろしです。
  
 

原画
(C)Michiko Taniuchi
 
新日本丸進水式
1984(S59)
 
 1984年(S59年)2月皇太子殿下(現天皇陛下)ご臨席のもと,美智子妃殿下(現皇后陛下)の支綱切断により浦賀工場にて,練習帆船「日本丸」の進水式が挙行された。
  
   

1984年(S59年)
「浦賀・追浜百年の航跡」
 
「咸臨丸フェスティバル」
日本丸見学会

2002(H14)
  

2002年(H14年)5月5日
 
 
 
浦賀工場最後の建造艦「たかなみ」
2003(H15)
 

艤装中の浦賀工場最後の建造艦船・護衛艦「たかなみ」
2003年(H15年)1月18日
 
 
 


浦賀ドック見学会
2005(H17)
   

浦賀工場正門  2005年(H17年)7月8日

総合事務所
 
 

20Tドックサイドクレーン

7Tドックサイドクレーン
 

ドック前方
 

ドック後方


日本丸・海王丸
セイルドリル(総帆展帆)

2007(H19)
  
 


機関工場内で
中島三郎助まつり

2005(H17)~2016(H28)
  

2005.1.29
 

2007.1.27
 
 


機関工場跡地で
ポップサーカス&咸臨丸フェスティバル開催

2024(R6)
  
 2024年(R6)4月~6月,住友重機械(株)から横須賀市へ寄贈された土地の一部・機関工場跡地で,大阪市に本部を置くサーカス団ポップサーカスが開催された。世界10数ヶ国のサーカスパフォーマーが,超人的な肉体と技を駆使したアクロバットを披露するサーカス団で,公演日48日間の累計入場者数は約72,000人に上がったという。

 尚,初日の4月27日には,ポップサーカスの特設大テント内で「第26回咸臨丸フェスティバル開会式式典」が開催され,イベントは27&28日の両日に亘り行われた。
 

住友重機械(株)から寄贈された土地は上図の赤枠内部分で
ポップサーカスは機関工場跡地
第26回咸臨丸フェスティバルは1号ドック周辺で行われた。
 

2024.5.20発行 ヨコスカ新聞
赤枠内が寄贈された土地(kamosuzu加筆)
  
 

2024.6.20発行 ヨコスカ新聞
 

2024.4.27特設大テント内で開催された「咸臨丸フェスティバル開会式式典」
 
 
 

咸臨丸フェスティバル「ドック見学会」

「中島三郎助と遊ぶ会」のブース

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