咸臨丸フェスティバル

  

 
咸臨丸由来
 
 幕府は浦賀に造船所を造り幕府初の軍艦「鳳凰丸」を建造したが,欧米艦船に比し技術的に著しく劣るため,海外から艦船を購入する事とした。咸臨丸もその内の1隻で安政4年(1857年)オランダ造船所に発注して建造したものである。

 幕府はこれ等の艦船修理のため,安政6年(1859年)浦賀船渠(株)浦賀造船所に我が国初の乾式船渠を築造。咸臨丸は日米修好通商条約の批准書交換のための渡米に先立ち,この船渠で船底填隙工事を行ったが船渠の湧水のため工事は難航を極めたと言われる。

 咸臨丸フェスティバルは,1860年(万延元年)1月13日(旧暦),勝海舟艦長等を乗せて米国に出航。我が国の軍艦として初の太平洋横断に成功。無事大役を果たして同年5月5日(旧暦)帰航した咸臨丸と乗組員の偉業をたたえる式典です。

 尚,西浦賀の愛宕山公園には咸臨丸出航の碑。また,東叶神社境内には,勝海舟が航海の安全を祈願して断食をした跡と水垢離に使用した井戸があります。
 

※住友重機械工業(株)「浦賀・追浜百年の航跡」より転載
 

飯塚羚児 画
  
「咸臨丸」豆知識 
竣   工 1857年
艦   種 木造スクリュー蒸気船
全   長 48.8m
全   幅 8.74m
排 水 量 625t
帆装装置 3本マスト,バーク型
航海速力 6ノット(汽走時)
備   砲 30ポンドカロネード砲 8門
12ポンド長カノン砲   4門
補助砲           6門
乗 組 員 95人(推定)
艦         歴
1857年 竣工
1858年 伝習生による乗船実習
1860年 サンフランシスコに向け出港
太平洋横断を成し帰国
1862年 小笠原諸島調査活動
1865年 江戸湾内にて軍艦操練所伝習生の乗船訓練
1868年 品川から函館の五稜郭へ
1871年 北海道木古内沖にて座礁,沈没
 
咸臨丸出港の碑
愛宕山公園内
  
  
勝海舟断食・水垢離の跡
東叶神社境内
   
  
     
これまでのスナップ
  

2022.4.23
 
 

ドック見学   2022.4.23
  

ドック見学   2022.4.23
  

起震車で地震疑似体験   2023.5.27
 

小さな消防士   2022.4.23
  

陸・海・空自衛隊 PRブース   2023.5.27
 
  

佐久間彩加   2022.4.23
 

佐久間彩加   2022.4.23
  

模擬店   2022.4.23
  

模擬店   2023.5.27
  

模擬店   2023.5.27
  

模擬店   2023.5.27
ポップサーカス会場で開会式典
   
 2024年(R6)の開会式典は,旧機関工場跡地に設営されたポップサーカス特設大テント内で開催された。 尚,ポップサーカスは世界10カ国以上のトップパフォーマーが,超人的なアクロバットを繰り広げるサーカスで,象や熊等の動物は登場しない。横須賀公演は4月27日に開催し,6月23日までの公演日48日間の累計入場者数は約72,000に上がったという。
  

2024.4.27
  
  

開会式典
  

2024年(R6年)6月20日発行  ヨコスカ新聞空撮写真



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