咸臨丸フェスティバル

  

 
咸臨丸由来
 
 幕府は浦賀に造船所を造り幕府初の軍艦「鳳凰丸」を建造したが,欧米艦船に比し技術的に著しく劣るため,海外から艦船を購入する事とした。咸臨丸もその内の1隻で安政4年(1857年)オランダ造船所に発注して建造したものである。

 幕府はこれ等の艦船修理のため,安政6年(1859年)浦賀船渠(株)浦賀造船所に我が国初の乾式船渠を築造。咸臨丸は日米修好通商条約の批准書交換のための渡米に先立ち,万延元年(1860年)1月この船渠で船底填隙工事を行ったが船渠の湧水のため工事は難航を極めたと言われる。2月末咸臨丸は勝海舟艦長等を乗せて米国に出航。無事大役を果たし同年帰航した。

 後に愛宕山公園に咸臨丸出航の碑が建てられた。また,東叶神社境内には,勝海舟が航海の安全を祈願して断食をした跡と水垢離に使用した井戸がある。
 

※住友重機械工業(株)「浦賀・追浜百年の航跡」より転載
 

飯塚羚児 画
  
「咸臨丸」豆知識 
竣   工 1857年
艦   種 木造スクリュー蒸気船
全   長 48.8m
全   幅 8.74m
排 水 量 625t
帆装装置 3本マスト,バーク型
航海速力 6ノット(汽走時)
備   砲 30ポンドカロネード砲 8門
12ポンド長カノン砲   4門
補助砲           6門
乗 組 員 95人(推定)
艦         歴
1857年 竣工
1858年 伝習生による乗船実習
1860年 サンフランシスコに向け出港
太平洋横断を成し帰国
1862年 小笠原諸島調査活動
1865年 江戸湾内にて軍艦操練所伝習生の乗船訓練
1868年 品川から函館の五稜郭へ
1871年 北海道木古内沖にて座礁,沈没
 
咸臨丸出港の碑
愛宕山公園内
  
  
勝海舟断食・水垢離の跡
東叶神社境内
   
  
     
これまでのスナップ
  

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