観音崎砲台跡
C 北門第四砲台
場所の名称:海上自衛隊 (旧)観音埼警備所
起 工 | 明治19年(1886) |
竣 工 | 明治20年(1887) |
臼砲撤去 | 明治34年(1901) |
大砲種類 | 24センチ臼砲 |
砲座数 | 4砲座 |
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北門第四砲台は海上自衛隊 (旧)観音埼警備所の構内にあり,警備所は平成25年(2013)に廃止されたものの引き続き海上自衛隊の管理地となっている。このため一般人の立ち入りは現在も禁止されている。ところが嬉しいことに,今年平成30年(2018)は明治150年ということで特別に一般公開されることになり,パークセンター主催による北門第四砲台を含む観音崎砲台跡見学ツアーが5月11日(金)〜13日(日)の3日間開催された。 見学ツアーの参加者は一般公募され希望者が殺到,参加できなかった方が相当数あったとあとで漏れ聞いた。私は幸い公園案内のボランティア「フィールドレンジャー」の一員として参加を許され,カメラマン?を担当することになった。公開初日の5月11日,期待に胸を膨らませ入門。坂道を上り先ず目に飛び込んできたのが第3−第4砲座の地下砲側弾薬庫出入口と上部の揚騨井,そして巨大な黒松。 他の砲台では見られない光景に期待は更に高まり第2−第3砲座間の横墻へ。ところが横墻から第1砲座方面を眺めて正直ガッカリ。そこには思いの外に小さなコンクリート製砲座と胸墻があり,レンガ構築物は見当たらず,近年取り付けたと思われる鉄製階段・手摺り,金属製の簡易倉庫のようなものがあるだけ。そこには歴史的重みが全く感じられない殺風景な景色が広がっていた。 |
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(旧)観音埼警備所正門:普段は門が閉じられ施錠 |
第3−第4砲座間の地下砲側弾薬庫出入口/上部に揚騨井 |
観音崎では珍しくなった黒松の巨木 |
第2砲座横から第1砲座方面 |
第1砲座横から第2砲座方面 |
第1砲座跡 |
第2砲座跡 |
今回の見学ツアーでは,砲座以外の砲側弾薬庫や揚騨井のある場所等の付属施設へは立ち入ることは許されていない。それもあって砲座見学は早々に終了。退屈紛れに砲座前の綺麗に刈り込まれた芝生広場に立ち前方を眺めると,警備所のフェンス下には江戸時代に造られた鳶の巣台場跡。その先の海には旧海軍が造った「検潮所」が見える。眼前には浦賀水道と房総半島が横たわり,東京湾口,更には太平洋まで見渡せる。 ここからは浦賀水道を行き交う大小様々な船をハッキリこの目で捉えることができる。今さらながら気づいたが第四砲台跡には,他の北門三砲台跡から失われてしまった建設当時の情景を見ることができるのだ。他の砲台跡は周辺の木々が生長,鬱蒼としたまるでジャングルの中にある砲台跡の感があるが,ここは平成25年(2013)まで警備所として管理されてきたこともあって,視界を妨げる木々は見当たらない。唯一の例外は砲側弾薬庫上の巨大な黒松だけがこの砲台の歴史を物語っているように思えた。 |
警備所のフェンス越しに撮影 |
観音埼灯台から撮影 |
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鳶の巣台場跡のある場所は鳶の巣崎と呼ばれ,その先端の海に円筒形のコンクリート製構築物がある。灯台側・展望園地側の双方から肉眼でも見ることができるその構築物は,昭和12年(1937)頃造られた大砲の発射角・射程距離を算出するデータの一部「潮位」を観測する検潮所であったらしい。・・・旧警備所長談 又,一説よると,この構築物は潜水艦のスクリュー音を探知するために造られた聴測所(水中聴音所)で,ここから千葉県側まで防潜網を海中に張り,たくさんの機雷を沈めたため,戦後それを取り除くのに大変だったとする説もあるが真偽のほどは定かでは無い。・・・横須賀市HP |
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展望園地から撮影 |
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灯台側から撮影 |
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第四砲台跡の地下を貫く,江戸時代に造られた素掘りのトンネル内部の海側出入り口付近2ヶ所に地下壕出入口,外部の両側には地下壕跡が見られる。 | |
海側出入口付近:内部に地下壕出入口,外部右側に地下壕跡 |
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トンネル内部の地下壕出入口はコンクリートで閉鎖 |
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トンネル外部左側の地下壕もコンクリートで閉鎖 |
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ここに二枚の写真がある。2003年1月2日鳶の巣台場跡で撮影した「日の出」とその陽を浴びてオレンジ色に染まった「観音崎」の写真。これは私が不法侵入して撮影したものでは無い。当時は正月三が日の早朝6時頃から9時頃?に限り一般開放されていたのだ。しかしそれも2001年9月11日アメリカで発生した同時多発テロをきっかけに,世界各地で頻発するテロの影響により,2003年を最後に一般開放は残念ながら中止されてしまった。 | |
昭和36年(1961)公開の日本映画「豚と軍艦」は,戦後日本の荒廃した現実を横須賀を舞台に描いた今村昌平監督の有名な作品だが,その主要なロケ場所の一つが鳶の巣台場跡。そこには大規模なオープンセットが組まれ,観音埼灯台や殺人事件の舞台となった検潮所(水中聴音所)も登場する。おそらくその頃は単なる国有地だったのだろう。その後,昭和33年(1958)に新編された観音埼警備所が,ロケ終了後頃に,鳶の巣台場跡を管理地に編入したと思われる。 それから約60年が経過,平成25年(2013)に警備所が閉鎖された現在。有事に備え施設が残る警備所構内は兎も角,鳶の巣台場跡は観音崎公園の一部として一般開放しても良いのでは無いだろうか?もしそれが駄目なら,せめて正月三が日の開放復活。願わくば春休みや夏休みの期間限定開放はできないものだろうか? |
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最近興味深い写真を見つけた。上記映画には検潮所(水中聴音所)が殺人事件の舞台として登場。そこには桟橋が写っているが,現在は橋が見当たらない。ところが昭和34年(1959)以前,私の推定では昭和30年(1955)前後に撮影されたと思われる絵ハガキの桟橋には,豚と軍艦のものとはタイプが全く異なる手摺りが付いている。この写真は観音崎自然博物館隣のボランティアステーションのロビーに現在も掲示されている。 |
「豚と軍艦」 昭和35年(1960)頃?撮影 |
昭和30年(1955)前後?撮影された絵ハガキ |
平成30年(2018)撮影 |