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巨 砲 復 元 ?

 
 その日は朝から曇り空で,家で一日中ゴロゴロして運動不足のため,夕方観音崎へ散歩に出かけた。 天候も悪く薄暗くなりかかっていたこともあって,行き交う人もなく何となく不安な気持ちであったが,海の見晴らし台のある第三砲台跡へ行ってみると,なにやらざわめきが聞こえてきた。前方をよく見ると砲台跡周辺の木々が切り倒され,浦賀水道や房総半島が一望できる砲台跡に大砲らしきものが据え付けられ,周りを数人の人影が取り囲んでいた。

 私が近づくとざわめきは止み,彼らは浦賀水道に砲口を向けたまま誰一人微動もせずに立ち続けている。 そっとカメラを取り出し,フラッシュもたかずにシャッターを押してその場をあとにした。以前,観音崎の砲台跡に巨砲を復元しようと運動している人達がいるとの噂を聞いたことがあるので,あるいはそれが実現したのかもしれない。 
2005.5.26
 ところがその後,砲台復元のニュースも聞かないので気になり第三砲台跡へ出かけてみたところ,そこは何事もなかったように木や草が生い茂り巨砲の姿を見つけることはできなかった。

 第三砲台跡には明治17年〜26年にかけて,東京湾に侵入してくる敵国の軍艦を撃沈しようという目的で,4門の二十八サンチ榴弾砲と呼ばれる海岸砲が据え付けられていた。

 その後,日露戦争において,二〇三高地奪取・旅順攻撃に手を焼いた陸軍はこの巨砲を戦地に据え付けることにし,その絶大な威力により旅順陥落に成功し,日露戦争大勝利の幕開けとなった。

 尚,この巨砲採用の経緯については,文藝春秋発行の司馬遼太郎「坂の上の雲」の四・五巻に詳しく載っているので,興味のある方はぜひそちらをご覧下さい。

第三砲台跡

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