観音崎砲台跡
※ 火薬庫・火具庫
場所の名称:パークセンター
(旧青少年の村)

平成17年(2005)見学記
 
 砲台跡見学前,集合場所の観音崎バス停近くにある「青少年の村」に立ち寄った。ここは青少年団体や学校だけでなく,仲間や家族でのキャンプや研修,レクリエーション等,宿泊・日帰りいずれの利用もできる施設。マッシュルームキャビン・野外炊事場・大部屋のある宿泊棟や屋内炊事場等がある。

 これらの施設の内,大部屋のある宿泊棟は旧日本陸軍が建設したレンガ造りの建物で,公園ボランティアの先輩からは兵舎か診療所として使われていたと聞いていた。ところが,仲野講師のお話では火薬庫と火具庫であったと言われる。スタート早々にして,私の僅かな知識は覆されることになった。
   

宿泊棟として利用されている第一火薬庫

白ペンキの部分もレンガ造りの旧火薬庫はイギリス
 
明治150年・追記
2018.11.20
 
 火薬庫と火具庫のある「青少年の村」はその後廃止され,「パークセンター」が誕生した。パークセンターは公園を訪れた方が,より楽しく利用できるように,公園の管理・案内をする施設で,平成28年(2016)1月にオープンした。施設内には公園内の各種情報が掲示されると共に,公園内の地図やその時々の見どころを掲載した「観音崎通信」等を無料配布しているので,観音崎へお越しの折りはぜひお立ち寄り下さい。

 本施設は旧日本陸軍が明治31年(1898)に東京湾要塞の「観音崎砲台火薬庫」として建設。戦後,昭和57年(1982)から観音崎青少年の村として利用開始。平成23年(2011)に閉鎖されるまでの29年間,青少年のための宿泊施設として利用され,市内外の方から親しまれた施設。

 パークセンター構内には第一・第二第二火薬庫・火具庫が現存。周辺には第三・第四火薬庫跡もあるが,
こちらは完全に破壊されて遺構らしきものは現存しない。尚,これらの火薬庫が一定距離を置いて散在しているのは,誘爆の危険を回避するためと言われている。
   
第二火薬庫
  
 現在のパークセンターは,青少年の村で利用されていたレンガ造りの第二火薬庫を,建設当時の状態を極力再現・改修したもので,もれ聞くところでは,旧施設を全壊して旧施設に類似した新施設を建設した方が,費用的にも安く,技術的にも楽だったようだ。安易な道を選ばず,歴史的な建造物の価値を損なうことなく再現・改修された県土木事務所の英断には敬意を表したいと思います。・・・工事内容詳細はパークセンターの頁参照
      
青少年の村時代
  

第二火薬庫:集会室・屋内炊事場  ※右側建物は開村時建設,閉村後解体
    

集会室
  

屋内炊事場
火具庫
  
 パークセンター裏にある火具庫は青少年の村時代は宿泊棟として利用されていた。当初計画では第二火薬庫同様に再現・改修される予定だったようだが,途中で予算が足りなくなったのか?白いモルタルを剥がした段階で工事がストップ,赤レンガの剥き出しの肌が痛々しい。このままでは風雨により劣化が進み朽ち果ててしまう恐れがある。第二火薬庫同様,早い機会に再現・改修されることを願ってやまない。
   
   
青少年の村時代
 

火具庫:宿泊棟
  

宿泊棟内部
第一火薬庫
      
 第一火薬庫は青少年の村時代,宿泊棟として利用されていたが,現在は当時の佇まいのまま利用されることなく現存している。第一火薬庫は第二火薬庫と構造的にも類似しているので,青少年の村という一つの時代があった歴史遺産として現状のまま存続しても良いのでは?

 尚,第一火薬庫はパークセンターの敷地内にあるが,金網フェンスで仕切られ,普段はフェンス出入口に施錠されている。このため砲台見学ツアー等の特殊なイベントに参加するか,パークセンターの特別許可を貰わないと立ち入ることはできない。
  

第一火薬庫:宿泊棟
 

宿泊棟内部
第三火薬庫
      
 第三火薬庫は道路を挟んでパークセンターの真向かいにあったが,完全に破壊されて遺構らしきものは見当たらない。公園内で発生した刈り払った草木・落枝・木製品等可燃ゴミの廃棄場所になっているようだ。
   
第四火薬庫
         
 第四火薬庫はパークセンター背後の尾根を挟んで少し離れた場所にあったが,第三火薬庫同様,完全に破壊されてその敷地跡は第4駐車場になっている。駐車場の最奥部には一見したところ遺構?と思われる場所があるが,こちらは公園内で発生した金属・プラスチック製品等不燃ゴミの廃棄場所になっていると思われる。
 
   
  

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