観音崎砲台跡
A 北門第二砲台
場所の名称:北門第二砲台跡
(通称:だんだん砲台)

起 工 明治13年(1880)
竣 工 明治17年(1884)
24センチ砲据付 明治27年(1894)4門
明治30年(1897)2門
除 籍 大正14年(1925)
大砲種類 24センチ加農砲
砲座数 6砲座(現存:3砲座)
レンガ構造 フランス積
平成17年(2005)見学記
 
 北門第二砲台は6門の砲座からなり,24センチ口径加農砲が6門設置され,左3砲座は第三海堡と間の海面を射撃して敵艦の交通を途絶,右3砲座は第一砲台と同じく,海門の通過を企てる敵艦に対して,予めなし得る妨害を与えることを任務としていた。

 現在,左3砲座は取り壊され東京湾海上交通センターの敷地となり,トンネル側に右3砲座だけが残されている。東京湾海上センター側から県道209号に通じるトンネル内には,フランス積で造られた弾薬庫入口が3ヶ所あるが,後にトンネルの一部分が,イギリス積で補強されているのが興味深い。・・・見学会配付資料から要旨転載

フランス積のトンネル内弾薬庫入口
明治150年(2018)追記
 
 第二砲台も第一砲台同様,周辺の木々が生長してより鬱蒼とした雰囲気を醸し出している他はあまり大きな変化は感じられないが,最近パークセンターが時折開催する砲台見学ツアーでは,普段立ち入ることのできない第三砲座の砲側弾薬庫内・観測所及びトンネル内を見学できるようになったのは喜ばしい。第二砲台は第一砲台と共に日本で初めて建設された西洋式砲台なので,現状維持にとどまらず建設当時の状態にできる限り復元することが望まれる。

 尚,第二砲台の通称「だんだん砲台」はトンネル側から東京湾海上交通センターへ向かって緩い坂道になっているため,第1砲座〜第3砲座まで階段状に造られていることからそう呼ばれていたようだ。
 第二砲台は建造時6砲座で構成されていたが,東京湾海上交通センター建設時に左3砲座が破壊されてその敷地となり,現在は3砲座だけが残されている。各砲座には砲側弾薬庫が設置されているが,第1第3砲座は出入口がコンクリートで塞がれているため内部を見ることはできない。又,第2砲座は鉄製扉に施錠されているため普段は立ち入ることはできないが,砲台見学ツアー等の際は特別に見学することができる。
   
第1砲座
      

砲座側弾薬庫出入口

トンネル内弾薬庫出入口
第2砲座
      

砲座側弾薬庫出入口

道路側弾薬庫出入口
第3砲座
      

道路側弾薬庫出入口(普段は鉄製扉に施錠されている)
第3砲座・砲側弾薬庫
      
 弾薬庫内はフランス積のレンガ造りで,通路等のレンガ部分は意外と状態が良くあまり古さを感じさせなかったが,庫内は破壊され残念ながら何も残されていなかった。
  

通路はほとんど破壊されていない

弾薬庫内は一部破壊され,何も残っていない

出入口から直進後,左折すると突き当たりが砲座側出入口

出入口を塞ぐグレーチング
トンネル内弾薬庫
      
 第1砲座・砲側弾薬庫の出入口のあるトンネルは,永年にわたり東京湾海上交通センターの交通路として利用されてきたが,2017年1月,航行援助・管制業務を横浜・第三管区海上保安本部で一元化することになり無人化されその後は利用されていない。現在トンネルは危険防止のため原則として関係者以外の通行は禁止されている。

 トンネル内には第1砲座・砲側弾薬庫と並び等間隔で2棟の弾薬庫が設置されている。トンネルのほぼ中央付近に第2弾薬庫,第1砲座の反対側出入口近くに第1弾薬庫が大きな洞窟内に築かれている。
   

第1砲座側出入口/画面右側に観測所への登り口  2018.7.31現在

第1弾薬庫側から第1砲座側出入口を望む

第1弾薬庫

第1弾薬庫・出入口扉の破損部から撮影した弾薬庫内

第2弾薬庫

第1・2弾薬庫のトンネル側壁面はフランス積で建造されているが,
後に何らかの事由で一部が破損,イギリス積で補修されている。
立入禁止
 
 2018年までトンネル内は落盤の危険があるため関係者以外の通行は禁止されていたものの,自己責任で立ち入ることができたが,最近トンネル入口にステンレス製扉が設置されたため,普段は完全に立ち入ることができなくなってしまった。
   

2019.11.7
観測所跡
      
 観測所跡はトンネル開口部の手前,第1砲座の向い側にある階段を登り,木の根や大きな石ころの転がるゆるい坂道を7〜8分歩いて辿り着く。場所的にはトンネル中央部のほぼ真上付近にあると思われる。 
 

普段は立入禁止

左階段上に観測所,地下に付属室

観測所跡

地下付属室

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