アマモ
(甘藻)


別名:モシオグサ・アジモ

オモダカ目 アマモ科
多年草
草  丈 100〜150cm
 ここ2〜3年ほど前から,観音崎とその周辺の海域で,アマモが目につくようになってきた。アマモは水深1〜2mの海底に根を張りながら繁殖するが,海藻ではなく,花を咲かせる種子植物の仲間の海草だ。ところが,漢字では「甘藻」と書く。恐らく古人は,アマモをワカメやヒジキと同じ海藻の仲間と考えていたのだろう。 
2007.7.2
藻    場
藻場の復活
観音崎周辺海域の主な藻場
アマモの生育と水質
余    談
藻    場
 
 アマモは群生して,草原のような「アマモ場」と呼ばれる群落を作る。アマモ場は消波の役目をしながら,魚介類の産卵の好適環境をつくりだすと共に,稚魚やエビなどのすみかとなり,光合成で窒素やリンを栄養分として吸収するため赤潮の発生を防ぐといわれている。

藻場の稚魚
藻場の復活
 
 かって,アマモは東京湾沿岸に沢山生えていたが,戦後急速に進んだ湾岸開発や海洋汚染等の影響により,東京湾内ではアマモを含む藻場が激減あるいは死滅した。

 私がこの地へ引っ越してきた30数年前,腰越の海岸には大きなアマモ場があり,海水浴や潮干狩りへ行くと,アマモが足にまとわりついてうるさいほどに生えていたが,徐々に減少,しばらくして,その姿を消してしまった。

 海洋汚染が深刻化した20年ほど前には,アマモ以外の海藻も激減,磯焼けと呼ばれる現象も起き,夏には赤潮が発生,観音崎周辺の海が,コーヒーかチョコレートのような褐色に変色することも度々だった。

 やがて時代が昭和から平成に変わり,工場排水に対する規制が強化され,周辺地域の下水道の整備が進むにつれて,赤潮の発生も徐々に少なくなり,4〜5年前頃からは,海の透明度も増し,海が蘇ってきたように感じていた。

 海の浄化が進むにつれて,そこに棲む生物の生態系にも変化が生じた。岸壁や岩場にビッシリとへばりついていたカラスガイ(ムラサキイガイ)やカキが徐々に減少。磯焼けの海に,ワカメやヒジキ等の海藻類も戻ってきた。

 そして,2003年4月,鴨居港の防波堤へウミタナゴ釣りに出かけ,防波堤の内側にアマモ場を見つけた。早速,観音崎自然博物館へ行き,研究員に報告したところ,たたら浜や腰越の浜にもアマモ場が復活していると逆に教えられた。

鴨居港で最初にアマモ場を見つけた場所
観音崎周辺海域の主な藻場
 
 鴨居港で藻場の復活を発見してから4年が経過,アマモ場は急速にその数を増し拡大。今年は鴨居〜観音崎〜走水に至る海域のほとんどで,アマモ場を目視で確認することができた。これを地図にプロットすると下記の通りとなるが,私の場合,陸上から目視でざっと確認した程度なので,本格的に調査すれば,その数もより多く,範囲も拡大すると思われる。

 下図にプロットした8ヶ所のアマモ場の内,数も多くわかりやすいのはAの鴨居港,Eの観音崎海水浴場,Gの走水港で,大潮や中潮の干潮時ともなると,アマモが海面に姿を現し,ユラユラ波に揺れているので,初めての人でも直ぐにそれとわかる。

@海上保安庁・係船場

A鴨居港

B腰越の浜

Cたたら浜

D観音埼灯台下

E観音崎海水浴場

F観音崎京急ホテル

G走水港

アマモの生育と水質
 
 アマモの生育と水質が密接な関係にあることは,鴨居港と走水港の現状を見ると一目瞭然,理解できる。どちらの港も港内が左右に大きく二分されているが,海に向かって左側の港内は,いずれも港の入口に近く,海水の流出入が多いためアマモが数多く繁殖している。ところが右側の港内は,いずれも港の入口から離れている上に,他に海水の流出入口が無いこともあり,水が淀んだ感じで見た目にも水質が悪く,アマモ場が見当たらない。

 日本は戦後の高度成長期,公害による「自然破壊」という大きな犠牲を払って驚異的な経済発展をなし遂げた。アマモ場の復活を目の当たりにして,破壊された自然の一部が,長い年月を経て,ようやく今,取り戻されつつあるように感じられる。一度失われた自然を100%取り戻すことは不可能だが,目の前にある自然を大切に,少しでも改善して,次の世代にバトンタッチすることが,高度成長による恩恵の一部を享受した私たち世代の努めと思う。
鴨居港
 

港内左側:アマモ場が多い

港内右側:アマモはごく少数
走水港
  

港内左側:アマモ場が多い

港内右側:アマモは見当たらず

余   談
 和名のアマモ(甘藻)は,根茎を噛むと微かに甘みを感じることに由来するが,アマモには「リュウグウノオトヒメノモトユイノキリハズシ」という長い別名がある。カタカナで書くと21文字,何のことやらわからないが,漢字で書くと「竜宮の乙姫の元結の切り外し」となる。落語の「寿限無」に登場する男の子の名前には及ばないものの,植物の中では日本で一番長い名前のようだ。

 「竜宮の乙姫の…」までは誰でもわかるが,「…元結の切り外し」となると,若い方にはおわかりにならない方も多いと思う。元結とは,講談社の日本語大辞典によれば「髪の毛をまとめて結んだところを髻(もとどり)といい,その髻を結ぶ細い糸,ひも」とあった。乙姫様はどんな元結をしていたのだろうか?あれこれ思いめぐらせている内に,故飯塚羚児画伯が描かれた「弟橘媛」を想い出した。

 画伯の「弟橘媛」は,神話や伝説に登場する女性の典型的な髪型をしている。乙姫様の髪型も恐らくこのような髪型だったのだろう。髪を束ねた後頭部に輝く金色の部分が元結で,古人はアマモをこの紐に見立て「リュウグウノオトヒメノモトユイノキリハズシ」と命名したと思われる。

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