卯年にちなんで
「兎あれこれ」

 令和4年,西暦2023年は十二支の「卯」。「卯」は「う,ぼう」と読み「兎(うさぎ゙)」のこと。十二支には12種の動物「子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥」が当てはめられているが,いずれも何らかの理由で人間に身近な存在の動物たち。十二支に割り振られている動物の順番についての由来は,子(鼠)年に詳しく記したので割愛するが,兎は4番目に到着した。それもあって「卯」は十二支の4番目になっている。

 そこで前例に倣って,観音崎とその周辺地域及び我が家の「兎」にちなんだあれこれを物色してみたが,これが思いの外難問。特に「兎」に縁のある神社仏閣が,観音崎周辺地域はおろか横須賀市内にも見当たらない。苦し紛れに思いついたのが2018年1月山陰旅行の際に立ち寄った「白兎神社」。因幡の白兎の神話で知られる神社で,今年はピンチヒッターとして登場させていただくことにした。


白兎神社
破 魔 矢
絵  馬
土  鈴
動  物
植  物
年賀切手
「うさぎ」の大看板
<余談-1>兎にまつわる故事・ことわざの類
<余談-2>月でうさぎが餅つき
<余談-3>うさぎの数え方





白兎神社
    
尋常小学唱歌
大黒様」
 
   
  作詞 石原和三郎
作曲 田村  虎蔵
 
  大きなふくろを かたにかけ
大黒さまが 来かかると
ここにいなばの 白うさぎ
皮をむかれて あかはだか 
 
     
  大黒さまは あわれがり
きれいな水に 身を洗い
がまのほわたに くるまれと
よくよくおしえて やりました 
 
     
  大黒さまの いうとおり
きれいな水に 身を洗い
がまのほわたに くるまれば
うさぎはもとの 白うさぎ 
 
     
  大黒さまは たれだろう
おおくにぬしの みこととて
国をひらきて 世の人を
たすけなされた 神さまよ 
 
     
      
 
拝 殿
   
 
本 殿
   
 
淤岐ノ島(オキノシマ)
   
 
絵 馬
   
 
 
「大国主命と八上姫」の砂像
   
 
 
 道の駅 神話の里 白うさぎ 名誉駅長
   


出 雲 大 社
 
 山陰旅行と言えば,出雲大社は欠かすことのできない観光スポット。そして出雲大社の御祭神は広く大黒様として知られる大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)。当然,因幡の素兎(いなばのしろうさぎ)にまつわる何かがあってしかるべきところだが,数多く撮った写真の中にそれらしきものは何も見つからなかった。あったのは『生きるものすべてが幸福になる「縁を」結ぶ』と言われる「ムスビの御神像」だけだった。
   
 本ページを作成するに当たり,改めて出雲大社公式サイトの境内案内図を確認したところ,「ムスビの御神像」と参道をはさんで反対側に「御慈悲の御神像」という大国主大神が皮を剥がれて丸裸の因幡の素兎(いなばのしろうさぎ)に治療法を教えている銅像があることがわかった。ツアーガイドは時間の関係でカットしてしまったようだ。

 その画像は出雲大社公式サイトでは,残念ながら見つけることができなかったので,「御慈悲の御神像」をキーワードに検索してみたところ,いろいろな角度から撮影された写真が多数掲載されていた。それらを見るとその像のデザインは,白兎神社の絵馬の構図とそっくり。そこで戯れに絵馬を加工して制作したのが下の画像。
   
 
 出雲大社公式サイトを眺めていて,もう一つ大きな見落としをしていることに気づいた。境内にはうさぎの石像が境内各所に多数設置してあるという。その数なんと61ヶ所。ところが私はその一つすら目にした記憶が無い。やむを得ず,出雲大社公式サイトから転載させていただくことにした。出雲大社参詣の折りは,「御慈悲の御神像」共々呉々もお見逃しのないように。
  





破魔矢
 

西叶神社・説明板
   


鴨居八幡神社・破魔矢
   





絵  馬
 

西叶神社・説明板
 

鴨居八幡神社
  

西叶神社
 

東叶神社
 





土  鈴
 
 旅行へ出かけた時,神社仏閣や土産物店で土鈴が置いてあることが多い。我が家では地元の鴨居八幡神社へ初詣で出かけた時や,観光旅行先等で土鈴を買ってくるのが習慣になっている。ここではこれ迄に買い求めたウサギの土鈴をいくつかご紹介したい。
 

西叶神社・説明板
  

2023年(令和5) 鴨居八幡神社

2023年(令和5年) 西叶神社

2011年(平成23年) 鴨居八幡神社

1999年(平成11年) 川崎大師参道のお土産店

1999年(平成11年) 鴨居八幡神社

1987年(昭和62年) 鴨居八幡神社

不明
 

不明





動  物

観音崎のアメフラシ

アメフラシ
(雨降らし/雨虎)

英  名  : Sea Hare=海の兎
中国名  : 海兎
 
アメフラシ科  体長:30~45cm
 
 名前のアメフラシ(雨降らし)は「いじめると雨が降る」ということに由来,「雨虎」もアメフラシと読むが由来は何故か不明。春先から梅雨の頃にかけて特に多く見かける。アメフラシといえば大部分の人が「ああ紫色の汁を出すやつ」というくらい皆さんにはおなじみで,春の磯に沢山群がっているのを見ることができる。

 英名ではこのアメフラシを”Sea Hare”海のウサギ,中国名では海兎という。触角を長い耳と見て,背中の丸いのがウサギに見えるのでしょう。
  


 
アマクサアメフラシ
(天草雨降らし/雨虎)
 
アメフラシ科  体長:20cm内外
 
 アメフラシと同じ体型だが身体は黒褐色で,模様は有ったり無かったりで,海中では海藻や岩の影と見分けにくい色や形であることが写真で良く分かる。
     
 


 
クロスジアメフラシ
(黒筋雨降らし/雨虎)
アメフラシ科  体長:3cm内外
 
 小さい身体だが体型は間違いなくアメフラシ。ルーペで観察すると身体の表面にとげとげ状の突起が沢山出て、眼点模様と細かくて美しい縞目模様があり,アメフラシの中では繊細なデザインだと思う。
 
 


 
フレリトゲアメフラシ
(ふれり棘雨降らし/雨虎)
アメフラシ科  体長:15cm内外
 水深10m前後の砂泥の海底に棲み,そこで見るブルーの斑点は実に色鮮やか。ダイバー達はこの斑点の色を,コバルトブルー,ターコイズブルー(トルコ石),瑠璃色等と表現している。 
  
 
 


 
ミドリアメフラシ
(緑雨降らし/雨虎)
アメフラシ科  体長:5~15cm
 
 観音崎自然博物館のタッチプールで小さなアメフラシが産卵をしていた。体長が6~7cm位なので子どものアメフラシと思っていたが,子どもが産卵するのはおかしい。不思議に思って,博物館の研究員にお尋ねしたところ,ミドリアメフラシだと教えて頂いた。傍にいたアメフラシと比べると確かに小さい。
   
 





植  物


ウツギ
(空木/木)
別名:ウノハナ(の花)

名前由来 ( 空 木)  : 幹(茎)が中空であることから
別名由来 (卯の花)  : 花が卯月(旧暦4月)に咲くことから

科名 アジサイ科
種類 落葉低木
樹高 1~3m

花言葉:由来
秘 密 中空の幹から連想して
古 風 花の姿が古風な女性を思わせる
   
 


ウサギアオイ
葵)

名前由来  : 中国名の兎葵(トキ)が由来とされている
動物のウサギとの関連は不明だが,
私見として,花びら先端の切れ込みが
兎の耳,花びらが顔のように見える

科名 アオイ科
種類 一年草
草丈 30~60cm
   


ヤクシソウ
(薬師草)
別名:ウサギノチチ(の乳)

名前由来 (薬師草 )  : 葉の形が薬師如来の光背に似ている
別名由来 (兎の乳)  : 葉などを傷つけると乳液が出る

科名 キク科
種類 一年草
草丈 30~120cm
   
 


シロダモ
(白だも)
別名:ウサギノミミ(の耳)

名前由来 (白だも )  : タブノキに似るが,葉の裏面が白いため
別名由来 (兎の耳)  : 若葉に絹毛が密生して,垂れ下がる様子

科名 クスノキ科
種類 常緑高木
樹高 10~15m
  

葉の裏面
 

若葉
 


コウヤボウキ
(高野箒)
別名:ウサギカクシ(隠し)

名前由来 (高野箒)  : 昔,高野山では幹や枝を竹箒の代用とした
別名由来 (兎隠し)  : 低木で小枝が多く藪のような樹形なので,
白い花が咲くと兎が逃げ込むと見つけにくい

科名 キク科
種類 落葉小低木
樹高 0.6~1m
   
 





お年玉 年賀切手シート
 
のごみ土鈴
1963年(昭和38年)
 
桂離宮の「水仙の釘隠し」
1975年(昭和50年)
 
うさぎの餅つき闘
1987年(昭和62年)
 
佐原張子・餅つきうさぎ/山形張子・玉乗兎
1999年(平成11年)
西会津張子・首振り招福卯/山形張子・稲畑人形・子兎土鈴
2011年(平成23年)
 
うさぎ
2023年(令和5年)
 





「うさぎ」の大看板
 
 例年,西叶神社近くにある西源材木店の店頭には,商品の材木を並べて立てかけ,カラースプレーで絵と文字を書いたと思われる新年挨拶の大きな看板が飾られる。普通,店舗や施設の新年挨拶はA4かA3サイズの用紙が使用されているが,西源材木店のそれは,畳十畳くらいはある超特大サイズ。カラースプレーで一気に書き上げたと思われるが,なかなか見事な出来映えで,西叶神社へ初詣に訪れた人たちが,その前で代わる代わる記念写真を撮っている姿が微笑ましい。
  

 
 





<余談-1> 兎にまつわる故事・ことわざの類
 
 兎にまつわる故事・ことわざ等の類は,辞典やサイトを検索してみると,意外と多いことに驚かされた。しかしながら,浅学な私が知っていたのはその内の5つだけ,あまり馴染みのないものが多い。そこでここでは,私が知っていたものと比較的馴染みやすそうなものに限定してご紹介したい。尚,故事・ことわざの類の説明文は日本語大辞典から大半を引用させていただいた。

 「兎」について日本語大辞典では次のように語釈している。
 ウサギ科の哺乳動物の総称。ノウサギ・アナウサギ・イエウサギ(アナウサギを家畜化)など。耳が長く,上あごの門歯が二対あるのが特徴。糞を食べる習性がある。ほぼ全世界に分布。
 
二兎を追う者は一兎をも得ず 同時に両者を得ようとする者は,一つも得ることができない
始めは処女の如く終わりは脱兎の如し 最初はおとなくしていて,終わりになって大いに力を発揮する
脱兎の如く 非常にすばやいさま,速,勢いの良いさま
兎に角 なんにせよ,いずれにしても,それはさておき
兎の昼寝  油断をして思わぬ失敗をまねくこと,兎と亀のイソップ寓話から
兎死すれば狐是を悲しむ 同類の死を,その縁者が悲しむことをいう
兎に祭文 言い聞かせても無駄であること (類似)馬の耳に念仏
兎の上り坂 得意の分野で実力を発揮する 
兎の糞 兎の糞のように,物事がぽつぽつ切れて続かない
烏兎匆々(うとそうそう) 月日のたつのが速いこと
株を守りて兎を待つ  同じ方法ばかりにこだわって,進歩することを知らない
狡兎死して走狗煮らる 敵が滅びてしまうと,それに功績のあった有能な家臣は
かえって邪魔者に思われ,殺されてしまう
兎角浮き世は儘ならぬ 兎に角この世は自分の思う通りにはならない 
兎耳 人の秘密などを,良く聞き出してくる人





<余談-2> 月でうさぎが餅つき
 
 今は昔,母が十五夜の夜,月を指さしながら「月ではうさぎがお餅をついているんだよ!」と言ったことがあった。見上げると確かにうさぎが二匹,餅をついているような黒い模様があった。あれから幾星霜,忙しさに紛れて月をじっくり眺めることすら忘れていた。

 そして定年後のある日,家内が「今日は十五夜だからお月見でもしない!」と珍しいことを言った。暇人の私は大賛成。すると彼女は「どこかでススキを採ってきて,それと帰りにお月見団子も忘れずにね!」「なんだよ,結局オレが準備するのかよ!」と文句を言うと「私は抹茶を点てるから」と言う。

 当時,我が家の隣は空き地だったので,ご近所の視線もほとんど気にならない。二階ベランダの片隅に置いた花瓶に,海岸近くの荒れ地で採ってきたススキを活け。地元の和菓子店で買ったお月見団子を三方に飾り準備完了。

 広々とした夜空に満月が上り,中天近くにさしかかった頃合いを見て家内が抹茶を点てた。うさぎ饅頭を食べた後,いただく抹茶の味は格別美味しい。そして母の言葉を思い出し見上げた月に,何故かうさぎは居なかった!うさぎはどこへ消えたのだろう?
 
  
 2022.11.4の読売新聞・夕刊に「皆既月食 天王星隠す」と言う興味深い記事が載っていた。日本でこの「ダブル食」が重なるのは過去5000年間で一度もなく,極めてまれな現象だという。天文台によれば,日本では皆既食は1年半から2年に1回程度あるが,皆既食中に惑星食が重なるのは極めて珍しく,日本では442年前,安土桃山時代の1580年7月の「土星食」で,次回は322年後の2344年7月の「土星食」という。これでは見逃すわけにはいかないので,「冥土の土産」に万難を排して観察することにした。
 
 
 2022.11.8朝から快晴。夕食もそこそこに月食の始まる1分前の18時8分,ベランダへ出てみると雲一つ無い夜空に月はまだ見えなかった。月は既に上っているようだが,昨年隣の空き地に家が建った関係で,ベランダからは月が中天近くまで上らないと見ることができなくなってしまった。やむを得ずベランダから屋根へ普段から掛けてある梯子を登って見ることにした。月は既に上っていたのでカメラを向けると月食は既に始まっていた。我が家は平屋根なので危険は無いが,いざ登って見ると兎に角寒い。そこでベランダに直結している暖かい書斎を約10分間隔で行き来することにした。
   
 
18時29分
 
 19時16分皆既月食は予定通り始まり,月は黄金色から赤黒い色に変わった。空が心なしか暗くなり,周辺の明るい星が見えるようになってきた。それでも天王星を肉眼では見つけることはできなかったが,19時17分に撮影した写真には,天王星らしき小さな星が映っていた。天王星食はまだ始まっていない。
   

19時17分
 そして天王星食の始まる20時41分の2分前に撮影した写真には,いささかピンボケ気味で自信は無いが,天王星らしきものが写っていた。翌朝の読売新聞には皆既月食と天王星食の記事が載っていた。月の下部を拡大した写真には,天王星が月に隠れる直前の写真が載っていて,それを見ると天王星の位置と撮影時刻は若干異なるが,私のピンボケ写真も本物をとらえていたようだ。私の撮影時刻はカメラに記録されていたもので,数年前におおよそ設定しそれ以降修正もしていないため,新聞に載っている時刻と前後したものと思われる。
  
20時39分
 
 
 月食が始まった7時16分から終わった8時42分迄の約1時間半の間,私は約10~20分間隔で屋上と書斎の往復を数回繰り返し,赤黒い月を飽きることなく眺め続けた。これほど長時間眺めたのは我が人生初の体験。そして思い出したのが「月でうさぎが餅つき」の話。

 赤黒く見える月でもうさぎは餅をついているのだろうか?しばらく眺めていると不思議なことに,壮大な天体ショーを眺め,心を洗われて童心に帰ったのか,うさぎの姿らしきものが徐々に見えてきた。先ず両耳と頭部・胴体・手足そして臼まで現れた。しかしながら,子供の頃に見えた杵と二匹目のうさぎは何処にも見つけることはできなかった。
   
月のうさぎの正体は
  





<余談-3> うさぎの数え方
 
 <余談-2>では,うさぎの数を「一匹」「二匹」と書いたが,年配の方はご存知のように正しくは「一羽」「二羽」である。鳥の数え方なら納得できるが,うさぎを数えるのに何故,鳥と同じ数え方をするのだろうか?由来を調べてみたところ諸説あり,正確なことはわからないというのが真相のようだ。そこで諸説ある中から有力と思われる説をご紹介したい。

1.かってうさぎは,人々にとって重要なタンパク源であった。ところが江戸幕府の第五代将軍 徳川綱吉の時代,仏教の影響を受けて「生類憐れみの令」が発令され,4本足の動物を食することが禁止されてしまった。しかし2本足の鳥は殺生禁止に含まれていなかった。そこで困った人々は,長い耳を持ち,二本足で立ちピョンピョン跳ね回る姿から,うさぎは鳥の仲間だから食べて良いとこじつけ。このこじつけを正当化するためにうさぎは鳥と同じ数え方になった。

2.うさぎの名前の中に「鵜(う)」と「鷺(さぎ)」の2種類の名前があることから,漁師がシャレとして「羽」と数えるようになった。

3.当時うさぎは鳥と同じように網で捕まえていて,その肉の味が鳥に似ていた。

 以上3つの有力な説をご紹介したが,どれもこじつけで無理がある。「生類憐れみの令」が既に廃止された現代,「一羽」「二羽」と数えなければならない理由はどこにも見当たらない。「一匹」「二匹」と数えても何ら支障は無い。うさぎを「一羽」「二羽」と数えることはいずれ廃語となり,「一匹」「二匹」と数えるのが当たり前になるだろう。




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