展望園地

観音崎砲台跡
D 南門砲台

起 工 明治25年(1892)
竣 工 明治26年(1893)
砲据付 明治33年(1900)
除 籍 大正14年(1925)
大砲種類 12センチ速射加農砲
砲座数 4砲座
 南門砲台は現在の展望園地・観音崎自然博物館・駐車場辺りにあったが,2005年5月に開催された見学会ではコースから外されていた。南門砲台は関東大震災で大破したが再建されること無くその後除籍。戦後,跡地に園地・博物館等造成の際,砲台及び関連施設の大部分が破壊され,遺構らしきものがほとんど残されていないのが理由と思われる。

 しかしながら,私は展望園地へ立ち寄ることをぜひお勧めしたい。何故ならそこには第一・第二・第三砲台から樹木等の成長により失われてしまった素晴らしい眺望があるからです。第四砲台跡からも同様の景色を見ることができるが,そちらは海上自衛隊の管理地となっていて普段は立入禁止となっているため,ここで他の北門三砲台からの眺めを偲んで頂きたい。

 天気の良い日は浦賀水道を挟んで対岸の房総半島・鹿野山〜鋸山〜最西端の州崎,更には東京湾口から遙か太平洋迄。又,ペリーが黒船来航時に投錨したと言われる浦賀湾口沖や第三砲台から28センチ榴弾砲の試射をした時,標的を設置した西浦賀の平根山等が望むこともできるからです。
  
 

展望園地の北後方に北門第三砲台跡のある海の見晴らし台
  

房総半島
 
  
 園地中央付近には円形花壇のような砲座跡があるが,これは明治時代の12センチ速射加農砲のものでは無く,太平洋戦争中に設置された15センチ加農砲の砲座跡らしい。従って,展望園地及びその周辺には当時を偲ぶ遺構は見当たらないのが現実。但し,海岸線に残された房州石のブラフ積護岸は当時のもので一見の価値がある。
   

太平洋戦争中に設置された15センチ加農砲の砲座跡
    

展望園地真下:房州石のブラフ積護岸(下部は流出)
       

たたら浜・博物館下・房州石のブラフ積護岸
は荒波でブラフ積護岸が流失,現在はコンクリート製

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