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梅雨明けが近づく頃,ソテツの花が目立つようになる。ソテツは雌雄異株。雄花は棒状,雌花は球状,大きく奇妙な形をしている。ソテツは本来,九州から琉球列島にかけて自生し,南日本各地に植栽されていたが,地球温暖化もあって,植栽域は徐々に北上しているようだ。 |
2009.7.30 |
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2009.7.30 |
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雄花 2009.7.17 |
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雌花 2007.7.18 |
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雄花は役目を果たすとしばらくして枯れてしまうが,受粉した雌花はピンポン球くらいの実をつけ,11月頃になると熟して赤く色づく。その赤い実を眺めていると,一世を風靡したバタやんこと田畑義夫の「島育ち」を思い出す。 ♪赤い蘇鉄の実の熟れる頃 加那も年頃 加那も年頃 大島育ち♪ バタやんの懐かしい歌声が聞こえてくるようだ。 |
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2004.11.28 |
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観音崎とその周辺地域は,気候が温暖でソテツの生育に適しているため,神社仏閣や観光施設の庭にはソテツが数多く植えられている。その代表格が東浦賀にある叶神社のソテツ。神社の案内板によれば,本殿に上る階段の左右に植えられたソテツは「源頼朝公が源家再興の折,伊豆より移植奉納されたものである。」
源頼朝は鎌倉幕府の初代征夷大将軍。今から800年以上も前の人物。従って,このソテツの樹齢も800年以上と言うことになる。因みに,ソテツの寿命について調べたところ,樹齢1000年を超えるものも珍しくないようだ。 |
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2009.7.30 |
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2009.7.30 |
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2004.8.24 |
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会津藩士の墓地のある鴨居山・曹洞宗 能満寺にも立派なソテツがる。叶神社のソテツと比べると数も少なく,若干見劣りする感は否めないが,そんじょそこらのソテツにはない堂々とした貫禄がある。能満寺の創建は明応6年(1497)。その頃,ソテツが植えられたと仮定すると,樹齢は約500年ということになる。 |
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2009.7.30 |
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2009.7.30 |
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2009.7.30 |
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観音崎京急ホテルの入口ゲートの両側には,手入れの行き届いたソテツが植えられている。周辺に植えられたカナリーヤシ,リュウゼツラン,ビロウ,ユッカ,ニオイシュロラン,ハマユウ等と共に,純白のホテルの建物にマッチして,南国ムードを醸し出している。 |
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2009.7.29 |
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2009.7.29 |
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2004.8.25 |
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東浦賀にある東耀稲荷のソテツは,創建が天明2年(1782年)であることを考え合わせると,樹齢は300年に満たないことになるが,驚くほどに生長して,道路から小さな社殿を見ることができない。気温が30度を超した真夏日のこの日,近所の子ども達が数人,古い手押しの井戸ポンプで水を汲み上げ,戯れているのが懐かしかった。 |
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2009.7.30 |
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我が家の玄関先に,鉢植えの小さなソテツがある。高さは幹の部分が約30cm,葉を含めても80cm足らず。20年ほど前,実生の小さなソテツを3本,どこからか拾ってきて鉢植えにしたが,肥料も与えず世話もほとんどしなかったので,2本はいつの間にか消滅してしまった。
その後,残された1本は順調に生長したが,10年ほど前の初夏,新芽が出る前に,先走って古い葉を切り取ってしまった。するとソテツが怒ったのか,その年,新芽を出さなかった。その次の年,更に翌年,結局3年連続して芽が出なかった。
あきらめ時かと思ったある日,家内が「そろそろソテツを処分したら?もう枯れちゃったんじゃないの?」と言い出した。そう言われると素直に従う気になれず,「ソテツは生命力の強い植物だから,まだ腐っていないので,来年は芽を出すかもしれない。」と言ってしまった。
ところが翌年も芽を出さなかった。「言ったとおりでしょ!もうあきらめたら?」家内が勝ち誇ったような顔で言ったので,私は向きになって「もう一年待ってくれ!」と命乞いをした。内心,我ながら意地っ張りだと後悔した。
そして5年目の初夏,幹の先端部分がこんもりと盛り上がり,芽生えの兆候を発見した時は,宝物でも見つけたような気分になった。「俺の言ったとおりだろう!ソテツは強い生命力を持っているんだ!」得意満面,家内に報告した時のことを未だに忘れられない。
今更ながら,ソテツ(蘇鉄)の名前の由来を調べたところ,「樹勢が衰えた時,鉄釘等をソテツの周りの地面に刺し,肥料として与えると元気になる。」「茎に鉄釘を打ち込むと元気になる。」等,鉄分によって元気が蘇るところから,蘇鉄(ソテツ)と名付けられたとあった。あの時,この事を知っていたら,もっと得意な顔ができたのに! |
2009.7.31 |
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