観音崎砲台跡
H 旧第三砲台跡
場所の名称:海上自衛隊 (旧)観音埼警備所 水上見張所

起 工 明治14年(1881)
竣 工 明治17年(1884)
砲据付 明治19年(1886)
砲移設 明治27年(1894)
※北門第三砲台へ
除 籍 大正14年(1925)
大砲種類 28センチ榴弾砲
砲座数 2砲座
レンガ構造 フランス積
明治150年(2016)追記
 
 旧第三砲台には明治19年(1886)28センチ榴弾砲2門が設置されたが,明治27年(1894)北門第三砲台へ移設された。その為もあってか,旧第三砲台に関する詳しい資料はほとんど存在しないためその理由・砲台の構造等は不明である。

 旧第三砲台跡は数年前まで海上自衛隊 観音埼警備所 水上見張所として使用されていたが廃止され,現在はMk22 3インチ砲3門を設置した礼砲台のみが,賓客を乗せた外国艦船の浦賀水道通過時に空砲を発射し敬意を表明するため残され,現在も海上自衛隊の管理地となっている。その為,引き続き立入禁止となっている。

 従って構内の写真は撮れないため,市史研究「横須賀第7号」に掲載されている地図やGoogleマップの航空写真で調べたところ,旧第三砲台跡の遺構で地上に残されているのは第2砲座のみで,第1砲座跡の上には水上見張所の施設が建てられているようだ。

 この地図を眺めていて興味深かったのは,旧第三砲台が北門第二砲台とは近接して存在。高低差はあるものの観測所は礼砲台のすぐ近く,弾薬庫のある隧道が旧第三砲台の地下を貫いていることは新発見?だった。隧道内の弾薬庫は第二砲台の付属施設とこれまで決め込んでいたが第三砲台と何らかの形でつながっているのかもしれない。
   
   

※上記図面・門の手前から撮影
   
余   談
   
 20年近く前のこと,観音崎公園内を散歩していると突然大きな爆発音が響いた。ドカーン ドカーンと規則的に聞こえてくる。何処で何が爆発したのだろう?驚いて辺りを見回したが誰もいない。しばらく経っても消防車やパトカーのサイレン音も聞こえてこない。帰宅して家内に尋ねたところ爆発音は聞いていないという。翌朝,新聞の横須賀版に目を通したがそれらしき記事は見当たらず。謎は深まるばかり。

 翌年,私は会社を定年退職。公園案内のボランティア「フィールドレンジャー」になった。ある日先輩と公園内をパトロールしていると,ドカーン ドカーンとあの大きな爆発音が聞こえてきた。「あの爆発音は何ですかね?」と先輩に尋ねると「あれは礼砲ですよ!海上自衛隊の礼砲台から空砲を発射しているのです。」との答えが返ってきた。

 帰宅後,ネットで「礼砲」を検索したところフリー百科事典「ウィキペディア」に下記のような説明があった。「礼砲とは,国際儀礼上行われている大砲を使用した軍隊における礼式の一種。軍艦が外国領海内に入り答砲し得る軍艦,砲台がある場合は,当該国の国旗に対し21発の礼砲を行う。先方より礼砲実施の申し入れがあった場合には,観音崎礼砲台にて,浦賀水道通過時に礼砲が実施されている。」

 尚,礼砲の数は受礼者の等級によって異なり,一般的には下記の通り。
1.国旗,元首(天皇・国王・大統領など),皇族:21発
2.副大統領,首相,国賓:19発
3.閣僚,特命全権大使,大将(統合・陸上・海上・航空幕僚長:17発
4.特命全権大使,中将(陸・海・空将):15発
5.臨時代理大使,少将(陸・海・空将補):13発
6.臨時代理公使,総領事,准将:11発
7.領事:7発
  

礼砲発射  海上自衛隊facebookより転載

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