帆船 リベルター
(LIBERTAD)

船   籍 アルゼンチン
建   造 1953年
排水トン数 2,765トン
全   長 103.75m
マスト高 56.2m
帆装形式 フルリグドシップ
所   属 アルゼンチン海軍
 アルゼンチン海軍帆走練習艦『リベルター』が,日本−アルゼンチンの修好110周年を記念して,11年ぶりに来日,横浜へ初来港。2008年8月9日&10日の両日,横浜港の新港埠頭で一般公開された。

 公開二日目の10日14時30分頃,新港埠頭入口へ到着。先ず驚いたのが,見物客の多さ。真夏の炎天下,300〜400mにわたって延々長蛇の列,その数は軽く1,000人は超えると思われる。最後尾に並んでから,乗艦するまで約1時間を要した。幸いなことに,列に並んで少しずつ前進する間,常にリベルターを臨むことができたので,いろいろな角度から写真撮影することができた。
 リベルターへ近づくにつれ,舳先についたフィギュアヘッドと呼ばれる船首像が気になった。何処かで見たことのある像だ。本艦の船首像を見るのは初めての筈なのに,初めての気がしない。何故だろう?あれこれ思いめぐらせ,故飯塚羚児画伯の版画に辿り着いた。

 弟橘媛のページを作成した時,お世話になった画伯の長女・大塚千束ご夫妻から,記念に頂戴した版画が本艦の船首像だった。帰宅後,大塚ご夫妻に,画伯がこの版画を制作された動機をお尋ねしたが,残念ながら不明とのことだった。

飯塚羚児画伯の版画
 デッキ上を一周。リベルターの細部を眺めながら,帆船画を得意とした画伯が,浦賀ドックに日本丸/海王丸が入港するたび,本船に通って描いた精緻なデッサンを思い出した。
 デッキ上に物騒な武器を見つけた。両舷に2門ずつ大砲?が装備され,右舷の砲口は「みなとみらい地区」に向けられている。標的はランドマークタワーかパシフィコ横浜のホテルか? 後で判ったことだが,この砲は1891式の47ミリ砲で,現在は礼砲として使用されているとのことだった。 
 下船後,リベルターを船尾から眺めて見た。逆光の為,若干薄暗く感じられるが,日本丸・海王丸よりメインマストが約11mも高い本艦の後ろ姿はなかなか迫力がある。見物客は相変わらず陸続として賑わっている。
 見物客の中に,カメラを持参した人を数多く見かけたが,スケッチブックを広げ,リベルターをデッサンしている人が10数人もいた。その中に,彩色まで施した見事な画を傍らに,帰り支度をしている人を見かけ,お許しを得て写真を撮らせた頂いた。前景や背景の余分なものをカットした水彩画は,写真では現すことのできない,優しい美しさが漂っている。こんな画が描けたらいいな!と思ったが,短気な私にはとても真似のできない芸当だ。
 翌日9時,リベルターは横浜を出港することになっていた。横浜へ出かけ,出港の様子を写真に撮りたいとも思ったが,結局,観音崎で見送ることにした。横浜から観音崎までの所要時間は2時間足らず。11時前後に観音崎沖を通過する筈?余裕を持って10時に家を出た。海上には靄(モヤ)がかかり,撮影条件は非常に悪い。

 観音崎園地で待つことしばし。10時42分ようやくリベルターが第一海堡沖に姿を現した。靄の為か,艦影が少し小さく感じられる。東京湾口までは帆走が許されない為,帆が張られていない。暫くして,マストに掲げられた日章旗が下ろされ,姿を現してから約20分後,岬の先端を周り,その優美な姿は視界から消えて行った。
Bon Voyage Libertad!

10:42

10:45

10:54
余     談
  
 1995年6月2日〜13日横須賀市のはまゆう会館で,横須賀市民文化財団の主催により,横須賀市美術特別展「海洋画の偉才・飯塚羚児の世界」が開催された。その時,存命中の飯塚羚児画伯(2004年99歳没)が直筆でコメントを記されたカタログが,作曲家の小宮佐地子先生宅に残されている。

 画伯がリベルター船首像の版画を制作された動機が判るかもしれない?小宮先生にお願いしてその貴重なカタログを借用。画とコメントをゆっくり眺めながらページをめくり,ついにそれらしきコメントを発見した。

 「春日,日進,旅順の砲撃」と題された画のコメントに,「日露戦争中,日本を援ける為アルゼンチンが,イタリーの造船所で造った巡洋艦二隻を日本に譲渡してくれて日本の勝利をもたらしたことをアルゼンチン国民は今でも自慢にして居ります」とあった。

 恥ずかしながら,アルゼンチンと日本がそのような関係にあったことを,私は知らなかった。明治37年生まれの画伯が,アルゼンチンの恩義に感謝する気持ちを込めて,リベルター船首像の版画を制作されたと考えても,無理はないように思われる。それにしても,一般公開2日間でリベルターを訪れた数千人の内,何人がこの歴史的事実を知っていただろうか?

「春日,日進,旅順の砲撃」  飯塚羚児画
 野暮用で横須賀中央へ出かけたついでに,記念艦「三笠」に立ち寄ってみた。アルゼンチンとの関係について触れた展示物が,何か有るだろうか?いつもに増して丁寧に観覧したところ,「日進・春日の購入」と題する展示パネルを見つけた。そのパネルの解説文は飯塚羚児画伯のコメントを裏づける内容のものだった。

日進・春日の購入
 日露間の緊張が増大し,両国の間では激しい軍艦購入競争が展開されましたが,日本はイギリスとアルゼンチンの厚意により,イタリアで建造中のアルゼンチン軍艦2隻の購入に成功しました。両艦は翌年の1月にゼノアを出港し,イギリス海軍の支援を受け,開戦直後の2月16日に横須賀に到着しました。これらは装甲巡洋艦「日進」「春日」と命名され,旅順口外で触雷沈没した戦艦「初瀬」「八島」の2隻に代わって第一戦隊に編入され日露戦争で大いに活躍しました。

日進

春日

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