ヤマブキ
(山吹)

バラ科 落葉低木
樹 高 1〜2m
花 期 3〜4月
 観音崎公園・戦没船員の碑付近を歩いていると,園路沿い柵の外側茂みに,見慣れぬ小さな花が咲いているのに気づいた。近づいてよく見たところ,それは花ではなくて,花びらが落ちた後の萼(がく)だった。

 萼を花と見間違えるとは? 若い頃,視力が1.5〜2.0あった私としては,愕然とする思いでそれを眺めた。(*^_^*)  気を取り直し,改めて幾つかの萼を調べてみると,中に豆粒より小さな緑色の実がついているのに気づいた。何の花だろう? 葉の形や細い枝振りからするとヤマブキのように見える。ところが,ヤマブキには実がならない筈だ。私の頭の中はすっかり混乱してしまった。

 ヤマブキに実はならないとする私の根拠は学術的なものではない。太田道灌にまつわる故事からきている。 
 「七重八重花は咲けども山吹の実の一つだに無きぞ悲しき」という和歌をご存知の方も多いと思う。
2007.5.28
  
 実のならない筈のヤマブキに実がついている。私は大発見でもした気分で帰宅。早速,植物図鑑やネットでヤマブキについて調べたところ,八重のヤマブキは実らないが一重のヤマブキは実ることが判明した。「ヤマブキには実がならない」約50年間,半世紀も信じ込んできた私の常識はいとも簡単に覆されてしまった。
  

2005.4.16

2005.4.10
 一重のヤマブキは実るのに八重のヤマブキは何故実らないのだろうか?あれこれ調べていると,あるサイトに興味深いコメントが紹介されていた。
 「八重咲きはオシベやメシベが花弁化したもので,完全に弁化すると結実できないが,受精能力のあるメシベが残っている八重咲きは結実するものもある。」

 翌日,その真偽のほどを確認するため,ヤエヤマブキの群落のあるふれあいの森へ出かけた。4月上旬,まぶしいほど黄金色に輝いていたヤエヤマブキの花は,当然のことながら姿を消していた。一つや二つ実がついているかもしれない?丹念に隅から隅まで見回してみたが,残念ながら,花はおろか萼一つ見つけることができなかった。
  

2007.4.9

2007.4.9
余    談
  
 「七重八重花は咲けども山吹の実の一つだに無きぞ悲しき」この古歌を知ったのは落語だったように思う。志ん生だったか円生だったか忘れたが,「道潅」という演題で,面白おかしく演じるのをラジオで何回か聴いた記憶がある。

 現在の皇居“江戸城”を築城した太田道灌が鷹狩りに出かけ,急な雨に降られ近くの農家で蓑(ミノ)を借りようとしたところ,その農家の娘がヤエヤマブキを一枝差し出した。道潅は意味が解らず,腹を立てて帰ったが,後に,それが平安時代の古歌になぞらえて,家が貧乏で「実のない=蓑がない」と表現したことを知り,道潅は自分の不明を恥じ,その後は一層歌道に励み一流の歌人になったという。

 この古歌は平安時代の歌人兼明(かねあきら)親王の作と言われ,「後拾遺和歌集」に収録されているようだが,その時代からヤエヤマブキは存在したことになる。それにしても,蓑一つ無い貧しい農家の娘が,その断りとして咄嗟に約500年前の古歌を思い出し,ヤエヤマブキを差し出すとは,その教養の深さには脱帽,我が身の不明を恥じるばかりである。


 しかしながら,蓑一つ無い貧しい農家の娘が,本当にそのような教養があったのだろうか?その農家は平家の落人だったとか,没落した公家だったとする説もあるようだが,真偽のほどはわからない。

花暦TOP  植物たちTOP  HOME