観音埼灯台

観音埼灯台あれこれ
初点灯から150年
資料展示室
初代灯台建設秘話
小林清親の浮世絵
崎・埼・岬
海からの灯台
空からの灯台
夜の灯台
初代灯台の残骸
観音埼灯台あれこれ
  
 観音埼灯台はフランス人F.L.ヴェルニーの設計により建設されたもので,1868年9月(明治元年)に完成した我が国初の洋式灯台です。翌年1月1日に点灯を開始して以来今日まで,浦賀水道を行き来する船の安全を照らし続けてきました。

 当時の光源は,落花生油を燃料としていたので,1,750燭光と,現在の光力と比べると非常に小さいのですが,それまでの和風の燈明台(浦賀燈明堂)から見ると,月とスッポンの違いがあり,我が国の代表的灯台として,航海の安全に貢献してきました。

 しかし,この初代灯台は1922年4月(大正11年)の地震により大亀裂を生じたため,翌年3月に二代目が再建されましたが,僅か5ヶ月半後,9月1日の関東大震災で崩壊してしまいました。現在の灯台は1925年6月1日(大正14年)に完成した三代目になります。

 灯台構内の左手には高浜虚子と初代海上保安庁長官の二つの句碑があり,その句から,灯台守の厳しい生活と出船に対する情愛の深さの一端が窺えます。観音埼灯台は,そんな灯台守の生活を描いて日本中を感動させた,木下恵介監督,佐田啓二・高峰秀子主演の1957年(昭和32年)松竹映画「喜びも悲しみも幾歳月」の舞台となったことでも知られています。

 その灯台守も,1989年(平成元年)5月,灯台が遠隔監視に切り換えられたためいなくなり,現在では,職員が月一回,巡回により施設の点検を行っています。
資料 : 海上保安庁及び社団法人「燈光会」パンフレットから引用


観音埼灯台の見学時間・入場料
時 間 3月〜9月 平日 9:00〜16:30
土・日 8:30〜17:00
10月〜2月 平日 9:00〜16:00
土・日 8:30〜16:00
入場料 大人(中学生以上) 300円
小人(小学生以下) 無 料
※団体割引なし
※身障者手帳持参の場合は無料(引率者は有料)
  

初代灯台
 

現在の灯台
 

松竹映画「喜びも悲しみも幾歳月」
 

高浜虚子句碑
 
 

灯台内に展示されていた航空写真
 

灯台の光源
  
  
 
  





 
 
 
 
 





資 料 展 示 室
 
 2005年3月10日,観音埼灯台の資料展示室がリニューアルオープンした。これまでも簡単な展示室はあったが,関係方面の協力を得て約30点の写真や映像装置等を追加,展示室面積もこれまでの約2倍に拡大された。本来ならば展示の内容を写真でお届けしたいところだが,室内は撮影禁止のためご紹介できないのが少々残念である。 
 

平成17年3月11日付「神奈川新聞」から転載
F.L.ヴェルニーの胸像
 
 資料展示室内には観音埼灯台の建設を担当したフランス人技師F.L.ヴェルニーの胸像が展示されていたが,これは以前,灯台建物の階段登り口付近に置かれ自由に撮影できた。下の写真はその当時のもの。
 
Lefton社製「観音埼灯台」模型
  

灯台受付で販売





初代灯台建設秘話
 

2015.5.22(金) タウンニュース横須賀版から転載

2015.5.29(金) タウンニュース横須賀版から転載





小林清親の浮世絵
 
 横須賀製鉄所(造船所)創設150周年記念事業の一環として,横須賀美術館で開催されている企画展「浮世絵にみるモダン横須賀&神奈川」へ行ってきた。お目当ては小林清親の浮世絵「観音崎」。

 この絵の存在は以前から知っていたが,実物を見るのは今回が初めて。シルバー料金の600円也を支払い,チケットを手にして感激!チケットにはお目当ての浮世絵が印刷されていたのだ。実物は撮影禁止なので,ここにご紹介できないが,チケットの浮世絵もなかなか精密なので,本物の雰囲気が充分伝わってくる。現在の三代目灯台の写真と対比してみると興味深い。尚,本企画展は2015年12月23日まで開催されるが,前期と後期があり,「観音崎」の浮世絵は前期展示終了の12月6日までとなっている。
2015.11.18
  

小林清親の初代灯台浮世絵

現在の三代目灯台   2002.3.28





崎 ・ 埼 ・ 岬
  
  
 かんのんざき」を漢字で書くと,「観音」と山偏のを書くのが普通であるが,灯台入口の大きな表札を見ると「観音」と土偏のが使われてる。そして,観音という二文字が上にない場合は単にと呼びます。 崎・埼・岬のどこがどう違うのでしょう?

 因みに,講談社発行の「日本語大辞典」で調べてみると下記説明があった。
 :海などに突き出た岬,又は山が突き出た形の地名につく語。
 
:記載なし。
 :海または湖に突き出した陸地の先端部。

 
更に,教育ボランティアの山岸正平さんの集めた資料によると,陸の地形・鉄道・道路などを表す「地図」では山偏のが,海岸の地形・水深・海底の状態を表す「海図」では土偏のが使用されているとのこと, なぜ「地図」と「海図」で使用する文字が異なるのでしょう?

 
その理由は「地図」と「海図」を管轄する国の機関が異なることに遠因があるようです。  
 「地図」を管轄する国土地理院は前身の旧陸軍陸地測量部が山偏のを使用していた経緯があるので,引き続き使用している。
 「海図」や灯台を管轄する海上保安庁は前身の旧海軍水路部がを使用していた経緯があるので,引き続き使用している。

 それぞれそれなりの主張があるようだが,それをご紹介すると長くなりすぎるので省略して,結論を言えば,「を陸から見た時には山偏の,海から見た時は土偏の」と表すと覚えておけば良いと思う。

 最近は歌や映画の影響か,観光地の名称としての方がよりネーミング効果があるらしく,観光客誘致のためからに名称変更が行われているところもある。
 
 一例をあげると,西伊豆の土肥にある廻り崎はグアム島の恋人岬と姉妹提携して名称を恋人岬と変更し,展望台には愛を呼ぶ鐘 「ラブコールベル」が備えられ若者達に大人気である。





海からの観音埼灯台
    
 先日,ハンドルネーム”mebaru”さんからメールを頂戴した。「海が好きで鴨居に住み着いたものです。」という自己紹介で始まるmebaruさんのメールには,海上から撮影された観音埼灯台の写真が添付されていた。

 ハンドルネームから推察されるようにmebaruさんは釣がご趣味とか,おそらく観音崎沖でメバル釣りでもされがら撮影されたものと思われるが,私だけで拝見するのも勿体ないので,お許しを得て本サイトに掲載させて頂くことにした。

 観音埼灯台は,灯台真下の園路から眺めることはできるが,周辺の鴨居や走水地区からは見ることはできない。ところが,東京湾海上交通センターの管制塔は観音崎園地や走水方面から間近に見ることができる。このため,観音崎を訪れた多くの観光客がこの管制塔を観音埼灯台と勘違いされることが多い。

 mebaruさんの観音埼灯台の写真は,灯台の南側の船上から撮影されたもののようで,照葉樹の森の上に白くそそり立つ灯台が青空に映えて美しい。 
2006.4.9
  
  
  
 mebaruさんの写真を拝見しながら,私自身は海からの観音埼灯台の写真をあまり撮っていないことに今更ながら気づいた。私もmebaruさんと同様に釣を趣味とするが,もっぱら磯釣り,おか釣りが専門で,船で沖に出ることはない。

 記憶を辿ってみると,二年前の2004年6月5日東京湾海堡フアンクラブの見学会で,第三海堡撤去工事現場と第二海堡を見学した際,観音崎方面を撮影したことを思い出した。これらの写真は,mebaruさんの写真とはほぼ正反対の北側から撮影したものだが,これを見ると東京湾海上交通センターの管制塔が観音埼灯台よりあきらかに目立っている。観光客が管制塔を灯台と勘違いするのもやむを得ない気がする。

第三海堡撤去工事現場から
  

第二海堡から
  

第二海堡から





空からの観音埼灯台
    
 2023.4.2読売新聞朝刊・地域版に観音埼灯台の写真が掲載されていた。最初はドローンから撮影したと思ったが,記事に操縦士二人と整備士のお名前が記載されているので,ヘリから撮影したと思われる。この写真で見ると観音崎と横浜港が,まるで目と鼻の先のように近く見えるから不思議だ。このようなアングルから撮影した写真は珍しいので転載させていただいた。
  
  





夜の観音埼灯台
  
 昼間は快晴で,秋とは思えないほどの暑さであったが,夕暮れともなると若干涼しくなったので,夜の観音埼灯台の写真を撮りに出かけた。灯台のあるこの地へ越してきて,30年になるが,これまで夜の観音崎を訪れたことがなかった。

 灯台の近くに住んでいながら,夜の灯台を見たこともないとは我ながら恥ずかしく,8月初めから三度足を運んだが,天候があまり良くなかったためか,思うような写真が撮れなかった。

 この日は夕暮れ時になっても快晴で,西の空がすこし茜色に染まり始めたので,夕焼け空をバックにした灯台の写真が撮れるのではと,夕食は後回しにして出かけたが,期待に反して空は茜色にならないまま,太陽は沈んでしまった。
2003.9.9
 
 





初代灯台の残骸
  
 初代灯台はレンガ造りであったが,1922年4月(大正11年)の地震により大亀裂を生じたため取り壊され,そのレンガは崖の上から磯に落とされたと言われている。二代目灯台の残骸がある付近がその場所にあたり,今でも,その付近では小さなレンガの塊がころがっていることがある。
 

砂に半ば埋もれていたものを掘り出し,撮影後埋め戻した。


二代目灯台の残骸
  
 観音埼灯台下の磯に降りると,美しい景観には不似合いな大きなコンクリートの残骸があります。これが1923年(大正12年)3月15日に完成,僅か5ヶ月半後,9月1日の関東大震災で倒壊した,二代目灯台の残骸です。
 

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