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青函連絡船 出現?

 横須賀美術館前をバイクで走行中,何気なく観音崎沖合を横目で眺めたところ,一隻の客船らしき船が目に入った。バイクを止め,東京湾観音前を南下中の船を改めてよく見ると,何時か何処かで見たような気がするが思い出せない。兎にも角にも数枚の写真を撮り帰宅した。
2012.3.25
  
 帰宅後,パソコンに取り込んだ画像を拡大して,私は一瞬背筋が寒くなった。ファンネルマークにJNRの文字がある。JNRは現在のJRの前身「日本国有鉄道」の英称:apanese ational ailwayの略称。青函連絡船だ!青函連絡船は青函トンネルの開通に伴い廃止され,現在運行中の船は皆無の筈。それが何故?浦賀水道を航行していたのだろう。私は四半世紀前にタイムスリップしていたのだろうか?

 半ばパニックになりながらも画像を更に拡大してみたところ,船体中央・煙突下部にあるシンボルマークにYOUTEIMARUとあるのに気づいた。YOUTEIMARU=羊蹄丸,紛れもない青函連絡船の羊蹄丸だったのだ。私がタイムスリップしたのではなく,羊蹄丸が過去から現在へタイムスリップしてきたようだ!
  
 半信半疑,「羊蹄丸」をキーワードにあれこれウエブ検索した結果,いろいろなことがわかってきた。

 ※羊蹄丸は昭和63年(1988)終航後,平成8年(1996)3月から東京お台場にある船の科学館に屋外展示されていたが,年間3千万円の維持費が負担となり,平成23年(2011)9月30日をもって保存・展示を終了。愛媛県新居浜市「えひめ東予シップリサイクル研究会」への無償譲渡が決定した。

 ※本船は保存・展示終了後,新居浜市へ曳航され,平成24年(2012)4月27日(金)から6月10日(日)まで,同市の市制75周年事業の一環として新居浜市の黒島埠頭で一般公開された後,7月以降,船舶の安全な解体や資源の再利用化を目指すシップリサイクルシステムの研究を目的に4カ月かけて解体される予定。

 ※本船は平成24年3月25日午前8時30分,解体のためタグボートとよら丸に曳航されて東京を出発。29日正午頃,引き取り先の愛媛県新居浜市・新居浜東港に接岸した。

 私が羊蹄丸を目撃したのは3月25日の午後1時35分頃。どうやら東京から曳航されて愛媛へ向かう本船を,偶然見かけたことになる。私は本船を自航しているものと思いこんでいたが,タグボートに曳航されて愛媛へ向かったらしい。

 あらためて当日撮影した数枚の写真を見直したところ,本船の前後にタグボートが写っている遠景写真があった。それを更に拡大したところ,タグボートと羊蹄丸の間には太いロープかワイヤーの曳航索が写っていた。青函連絡船は私にとって,話せば長い話しになるので割愛するが,何かと懐かしい思い出のある船。その最後の航海に出会えたことは,偶然とはいいながら運が良かったと神様に感謝したい。
羊蹄丸性能諸元
総トン数 8,311.48トン
全長×型幅×深さ(型) 132.00m×17.90m×7.20m
主機関 D1,600×6
最大速力 21.16ノット(時速約39キロ)
航海速力 18.20ノット(時速約34キロ)
乗客数 1200名:新造時
1330名:一時
1286名:終航時
救命胴衣数 1700個:旅客用
積載貨車数 48両
建造費(当時) 18億2500万円
製造 日立造船桜島工場
就航 1965年8月5日
終航 1988年3月13日
姉妹船 津軽丸,八甲田丸,松前丸
大雪丸,摩周丸,十和田丸
余     談
 
 青函連絡船は明治41年(1908)から,青函トンネルが開通した昭和63年(1988)まで,青森県の青森駅と北海道の函館駅を結んでいた国鉄(JNR)の鉄道連絡船。その青函連絡船の建造を得意とした造船所が,観音崎の玄関口にあたる京急・浦賀駅前にあった。

 通称・浦賀ドックと呼ばれた浦賀船渠株式会社が設立されたのは明治30年6月。以来,浦賀ドックは浦賀工場が閉鎖された平成15年(2003)3月までに,1,000隻を超える内外の艦船を建造した。

 その代表的な船の一つに青函連絡船があげられる。大正13年(1924)に竣工した我国初の旅客兼車両運搬船“翔鳳丸”“飛鸞丸”を皮切りに,国鉄最後の青函連絡船となった“十和田丸”まで,18隻の青函連絡船を建造した。 
 

我国初の旅客兼車両運搬船:飛鸞丸
住友重機械工業(株)「浦賀・追浜百年の航跡」から転載
 私が図らずも目撃した羊蹄丸は,日立造船・桜島工場の建造であるが,シリーズ船の第一船は浦賀ドックで昭和39年(1964)3月竣工した津軽丸。老朽化した連絡船の代替船として建造された津軽丸は,青函連絡船では最初の自動化船で,その姉妹船“八甲田丸”“松前丸”“大雪丸”“摩周丸”“羊蹄丸”“十和田丸”は津軽丸型と呼ばれた。
  

青函連絡船で最初の自動化船:津軽丸
住友重機械工業(株)「浦賀・追浜百年の航跡」から転載

姉妹船:羊蹄丸
 津軽丸が竣工した昭和39年(1964)は東京オリンピックが開催された年で,その年の9月17日,東京オリンピックの聖火が津軽丸船上で北海道から青森県に引き継がれたことが懐かしく思い出される。

 今更ながらの感もあるが,日本造船史上のモニュメントの一つとも言える津軽丸の姉妹船羊蹄丸が,永久保存されることなく解体されることは,何とも寂しい限りだ。かって日本は世界に冠たる造船王国だったが,韓国に抜かれ,今や中国にも抜かれて凋落の一途をたどっているように思える。

 スポーツ界では,一時凋落の一途をたどっていた水泳・体操・卓球等が,選手・関係者の創意・工夫・努力もあって蘇り,復活しつつあるように思われる。日本の造船界も現状にめげることなく,復活することを期待したい。
  

津軽丸船上での聖火の引き継ぎ式
住友重機械工業(株)「浦賀・追浜百年の航跡」から転載(写真は毎日新聞社提供)
浦賀船渠(株)&浦賀重工業(株)建造・青函連絡船一覧表
番船 船 名 竣工 総トン
(GT)
L×B 主 機 関
(HP×RPM)
記    事
200 翔鳳丸 T.13.04 3,460 350’×52’ T2,865×190×2 我国初旅客
兼車両運搬船
201 飛鸞丸 T13.12  
442 第3青函丸 S.14.10 2,787 110.0×15.85 T2,200×205×2 青函連絡船のモデル船
488 第4青函丸 S.18.02 2,936 113.2×15.85 T2,250×213×2 W型戦標船の原型モデル
535 第5青函丸 S.18.12 2,792 T2,250×187×2 W型戦標船
536 第6青函丸 S.19.03 2,802 T2,300×214×2    〃
537 第7青函丸 S.19.07 2,851    〃
538 第8青函丸 S.19.11 T2,000×188×2    〃
539 第9青函丸 S.20.02    〃
540 第10青函丸 S.20.05    〃
546 第11青函丸 S.20.09    〃
547 第12青函丸 S.21.05 3,161    〃
548 北見丸 S.23.01 2,928 T2,250×210×2  
549 日高丸 S.23.09 2,932  
550 摩周丸 S.23.08 3,786 戦後初客載青函連絡船
当時画期的豪華船
686 空知丸 S.30.09 3,428 111.0×17.40 D2,800×250×1 洞爺丸等遭難事故後
代替船
846 津軽丸 S.39.03 8,279 123.0×17.90 D1,600×750×8 国鉄青函連絡船
代替第1船
885 十和田丸 S41.10 8,335 123.0×17.90 D4,760×250×8 国鉄最後の青函連絡船
住友重機械工業(株)「浦賀・追浜百年の航跡」から転載

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