鴨居・八幡神社
さいと焼き

 例年,小正月にあたる1月15日の午前8時から,鴨居八幡神社前の浜で鴨居の伝統行事さいと焼きが行われる。正月飾り・門松・ダルマ等を積み上げ燃やし,家内安全・無病息災を願う伝統行事で,氏子さんや見物客が見守るなか点火され,天まで届けとばかりに赤々と炎が燃え上がるさいと焼きはなかなかの壮観である。
2003.1.15
さいと焼き由来
  
 鴨居でさいと焼きと呼ばれるこの行事は,久里浜・野比・長沢等ではおんべ焼きと呼び,地方によってはどんど焼き・左義長と呼ばれている。因みに,この行事を鴨居の他にさいと焼きと呼ぶところがないか調べたところ,山形県・静岡県の一部地域でもそう呼ばれていることが判った。

 鴨居のさいと焼きの由来について,福祉だより「うらが」に鴨居八幡神社宮司のお話が載っていたので転載させていただくと…
 「さいと焼きは斎燈と書くようです。高さ約6〜7m,直径約10mの中に,太い孟宗竹の芯柱を立て,その先端に御幣(ごへい)を飾る。これを”おんべ”と読み,おんべ焼きとも言われます。昔は子供達が中心となって,この御幣を担いで各家庭を廻り,小遣いや菓子等を貰うのが楽しみだったようです。
 さいと焼きは江戸時代から行われており,一時中断があって昭和50年後半からは,氏子が中心となって再興されました。最近はプラスチックの人形や燃えないゴミ等が混ざって困ります。」
とあった。
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斎燈の語源については,下記のような説がある。
※柴灯・斎灯…神仏の灯明として焚く柴火
※「さい」は「賽銭」「賽の河原」などの「賽」で,神仏へのお礼参りの意味を持つ。
お飾りを積み上げたものを「さいと」と呼ぶので,「賽塔」と書くのではないか。
   
 さいと焼きの火でモチを焼いて食べると、病気にならないと言われ,その名残か,残り火の上にモチをアルミホイルで包み,モチ焼き網の上にのせて焼いているのを見かけた。以前は長い棒の先にモチをつるしたり、はさんだりして焼いて食べたようだが,そのような光景は過去のものになってしまったようだ。
   
お神酒
  
 例年,さいと焼きへ訪れた氏子さんは勿論,見物客へもお神酒が振る舞われる。私も紙コップにタップリお神酒をちょうだい,朝からほろ酔い機嫌で帰宅するのが楽しみの一つだ。
 
さいと焼き・変遷
  
2000年/平成12年
  
 さいと焼きは例年1月15日に行われ,子供達にとって楽しい伝統行事の一つであった。ところが,2000年から成人の日が1月の第2月曜日に変更され,1月15日が休日でなくなり,さいと焼きの浜から子供や若い人の姿が消え,以前と比較して人出も少なく何処か華やかさや活気が感じられない,高齢化社会を象徴するような光景がここ数年続いていた。

 2004年1月15日,浜へ出かけてみるとどこか昨年までと雰囲気が違う,辺りを良く見回してみると,登校姿の子供達の姿が目立つ。不思議に思い子供の一人に聞くと,先生からさいと焼きを見学して来て良いと言われたが,8時15分迄には浜を出て,授業開始の8時30分までに登校するよう指示があったとのこと。

 8時15分になると,子供達はまるで潮が引くように浜から消え,昨年までの光景に戻った。今年は学校の粋な計らいで,短時間とはいえ子供達も参加できたが,この由緒ある伝統行事を後世に伝えるためには,子供や若い人達の参加は不可欠と痛感した。

 1月15日=成人の日=休日の時代が終わったこれからは,「成人の日」=「さいと焼きの日」に変更されることが望ましいが,神社側は神事として定められたさいと焼きの日をむやみに変更できないと,応じて貰えないようである。この行事をこのまま衰退消滅させないためにも,子供や若者達が参加できるよう再考していただきたいものである。   
 
2006年/平成18年
  
 2006年1月15日(日)午前8時から鴨居八幡神社前の浜で,さいと焼きが行われた。14日夕刻から深夜にかけ,低気圧が通過,台風並みの暴風雨が吹き荒れ心配されたが,早朝には天気も回復,無事開催された。

 さいと焼きは例年「小正月」の1月15日に開催される。以前,15日は成人の日で休日だったが,2000年から法改正により,1月の第2月曜が成人の日と制定され,15日は必ずしも休日ではなくなってしまった。このため子ども達や若者の姿が少なくなり,「さいと焼き」はお年寄りの行事?になってしまった感があり寂しい思いをしていた。

 そこで私は二年前,「さいと焼きの日」=「成人の日」とするよう本サイトで提案したが,神社の回答は「さいと」の行事を休日にという要望もありますが、本来「小正月」に行われるべき行事であり、日を変えてしまったのでは意味の無いことになってしまいます。日本の歴史と伝統を無視した、国の休日法の改正を望むものであります。とのことで,残念ながら変更されそうもない。

 今年は幸い日曜日と重なったため,子ども連れのお父さんお母さんや若者の姿も多く見うけられ,会場には例年とは一味違った活気が感じられた。さいと焼きを真剣な眼差しで見守る子どもや周辺で戯れている子ども達の姿を見ると,「日本の歴史と伝統を無視した、国の休日法の改正」に問題があるとは思うが,この伝統ある行事を次世代にバトンタッチするためにも,神社側の現実的な対応に期待したい。
2007年/平成19年
 2007年,今年もさいと焼きは小正月に当たる1月15日(月)に行われた。点火時刻午前8時の15分くらい前,鴨居八幡神社前の浜へ行くと,既に100人近くの人が集まっていたが,大半が年配者で,若者や子ども達の姿はほとんど見うけられない。平日の月曜日,午前8時とあっては,仕事や学校の関係で若者や子ども達がいないのは当然の結果だが,なんとも寂しい限りである。

 ところが,点火直前になって,浜の一角がザワザワと賑やかになり,小学生らしき一団がゾロゾロと現れた。その数は約100人くらいだろうか?さいとの周りを囲み,炎が上がると一斉に歓声を上げた。浜が急に賑やかになり,小正月に相応しい雰囲気になった。
  
  
 子供の一人に聞いた話では,子ども達は全員が鴨居小学校の三年生で,授業の一環として,郷土の伝統行事を見学にきたらしい。子ども達は暫くの間,赤々と燃え上がる炎を見上げていたが,それに飽きると,お年寄りから借りた長い火掻き棒で戯れたり,浜で石投げなどをして遊んでいた。
 8時40分頃になると集合の合図があり,さいと焼きを背景に記念写真撮影。子ども達はゾロゾロと潮が引くよう学校へ引き上げていった。浜は急に静かになり,再び高齢化社会を象徴するような光景に戻った。後で,この日たまたま居合わせた,地元で生まれ育った囲碁仲間の二本木さんから伺った話では,今年から毎年,三年生が見学に訪れるようになったらしい。

 二本木さんの話によれば,昔,さいと焼きは子ども達が主役だったようだ。50数年前まで,さいと焼きは集落単位で行われ「脇方」「北方」「宮原」「東」が鴨居の浜に4基,「腰越」が腰越の浜に1基,それぞれ設置して競いあっていたと言う。

 当時は,さいと焼きの前日,1月14日の夕方,各集落の小学校高学年から中学生くらいの男の子たちが,フンドシ一つで,冬の冷たい海に入り,さいと焼きの成功を祈り水ごりをし,更に八幡神社へ参拝後,神社前にあった銭湯へ行って身体を温めたと言う。その後,当番の家へ行ってご馳走になり,全員がその家に泊まったらしい。翌朝は早起きして,各集落が競うようにさいと焼きをしたようだ。

 その伝統行事も,戦後いつの頃からか行われなくなっていたが,昭和50年代後半になって,ようやく現在のような形で再興されたと言う。
2021年/令和3年
 昨年1月からいまだに猛威をふるう新型コロナウイルス。感染拡大を防止するため1月8日から2月7日まで緊急事態宣言が再発令されたが,その最中の1月15日鴨居八幡神社前の浜で恒例の「さいと焼き」が行われた。さいと焼きは正月飾り・門松・ダルマ等を積み上げ燃やし,家内安全・無病息災を願う鴨居の伝統行事。

 コロナ禍で様々な行事が中止される中での開催。今年は流石に見物客も少ないのでは?午前8時の点火に合わせ浜へ行って驚いた。浜には平年並みかそれ以上の人々が集まっていた。鴨居小学校の3年生達の姿もある。それに混じって外人の家族連れもチラホラ目につく。

 「さいと」の正面には,大きなキャンバスに2020年の世相を表す「密」の漢字一文字が力強く黒々と大書され貼られている。地元の書道家が疫病退散の願いを込めて揮毫されたものらしい。点火直前,氏子さん達がさいとの前に勢揃い。宮司さんの出を待つ頃になって,それまで対岸の房総半島上空を覆っていた雲間から光が漏れ,光線の柱が放射状に注いで「さいと」を照らしているかのような光景が出現した。

 放射状の光線は「薄明光線」と呼ばれる現象で,別名を光芒,天使の梯子,天使の階段,レンブラント光線等と呼びスピリチュアルな意味がある。「吉兆のメッセージ」という説もあり,いずれにしても良いことが起こる前兆と考えて良さそうだ。龍が昇天するかのように赤黒く燃え盛る炎に手を合わせ,新型コロナウイルスの一日も早い終息を心から願った。

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