立春とは名ばかりの寒い北風の吹く日だまりに,オオイヌノフグリが咲いていた。直径が10mm位のコバルトブルーの可憐な花で,この花を見ると私は春の訪れが近いことを感じ,何故か寒い冬から解放されるような喜びを感じる,私の好きな花の一つだ。 ところが三年ほど前,この花の漢名が大犬陰嚢(睾丸)であることを知り,あまりにも酷いネーミングに驚き呆れた。植物に限らず鳥・昆虫・魚介類等々の古人のネーミングの多くは,その特徴を実に良くとらえ感心させられることがしばしばあるが,オオイヌノフグリに関しては腹立たしさすら覚えた。 物言わず,抗議する術もないオオイヌノフグリは,そのことを知ってか知らずか,今年もその美しい花を開いた。できることならオオイヌノフグリに代わって,私が改名の申請か裁判でも起こしたいところだが,何処へどのような方法でするのか皆目見当がつかないのでなす術がない。 |
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2005.2.9 | ||
2004.3.14 |
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2005.2.9 |
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2005.2.9 |
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昨春,観音崎公園・花の広場の花壇でオオイヌノフグリそっくりだが,直径が3倍ほど大きな花が咲いていた。私は一瞬,バイオテクノロジーか何かでオオイヌノフグリを品種改良でもしたのかと思ったが,よく見ると色や姿形は一見似ているものの,花弁の数がオオイヌノフグリの4枚に対し5枚あり,葉の形もまったく異なっている。 図鑑で調べてみると「ネモフィラ」というムラサキ科の植物で,”Nemophira”はギリシャ語で”森を愛する”との意味がり,漢名は「瑠璃唐草」とあった。遠目には区別がつかないほど似ている花なのに,どうしてこのような差がついてしまったのか,私には納得できない。 |
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2004.3.27 |
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観音崎公園の一隅にフラサバソウが群生する場所がある。早春,2月中旬から4月上旬にかけて,オオイヌノフグリに似た花を咲かせる。花の直径は5mm前後,葉が毛深いのが特徴。 江戸時代に渡来した,ヨーロッパ・アフリカ原産の帰化植物。日本で野生化しているのを発見・報告したフランスの学者フランシェA. FranchetとサバチエL. Savatier 両氏の名前を略してフラサバ草と名づけられたという。 |
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2008.3.17 |
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2008.3.17 |
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2008.4.16 |
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大きな花:オオイヌノフグリ 小さな花:フラサバソウ |
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我が家近くの坂道で,タチイヌノフグリを見つけた。明治時代に渡来したヨーロッパ原産の帰化植物。茎が立ち上がるのが特徴で,そこからタチイヌノフグリの名がついたようだ。晴天時,直径4mm前後の花が咲くが,お昼前後の数時間しか開いていないため,あまり目立たない。私はこの坂道を,30数年来,ほぼ毎日のように上り下りしているが,タチイヌノフグリの存在に気づいたのは,この日が初めてだった。 | ||
2010.4.25 | ||
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日本には在来のイヌノフグリという直径が3mmほどの,淡いピンクに赤紫の筋が入った小さな花があり,その果実が二個の球をつけたような形で,犬の睾丸(陰嚢)似ていることから,古人からイヌノフグリ(犬陰嚢)と名づけられていた。 そこへヨーロッパ原産のオオイヌノフグリが1890年(明治23年)頃渡来,イヌノフグリと同じゴマノハグサ科のクワガタソウ属の花で,花が大きく果実もイヌノフグリに似ていることからオオイヌノフグリと名づけられた。 |
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イヌノフグリの果実 2012.2.19 |
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オオイヌノフグリの果実 2005.5.10 |
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オオイヌノフグリにとってはあまりにも迷惑な話であるが,あれこれ調べているうちに,私の気持を代弁してくれる素晴らしい俳句と,オオイヌノフグリにふさわしい花言葉を見つけたのでご紹介したい。 いぬふぐり 星のまたたく 如くなり 虚子 花言葉 : 「誠実」 「清浄」 オオイヌノフグリを星にたとえた高浜虚子の心境は,おそらく私と同じではなかったと推測する。これまでそれほど関心の無かった虚子の句だが,何故か身近なものに思えてくる。観音埼灯台の構内には,映画「喜びも悲しみも幾歳月」に登場する灯台守が,幾多の困難と闘う姿を詠んだ高浜虚子の句碑がある。 |
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2008.2.18 |
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「オオイヌノフグリ名前の由来」にある日本在来のイヌノフグリのことが気になり,春が来ると数年前から,観音崎公園内は勿論,周辺の鴨居・走水,時には浦賀方面まで探し回ってみたが見つけることはできなかった。どこへ行ってしまったのだろう? 探すのを半ばあきらめていた昨年暮,突然,幸運が舞い込んできた。観音崎公園内でボランティア活動をしているグループの情報交換会「公園倶楽部」の会場で,森作りのボランティアをされているKさんから,小さなポットに植えられたイヌノフグリをプレゼントされたのだ。 Kさんのお話によると,鴨居の某所でイヌノフグリを見つけ,種子を採取して育てたものらしい。たまたま私が,観音崎公園内の在来植物の保護・増殖活動をしているのを知りプレゼントしてくれたようだ。 帰宅後,少し大きめの鉢に移植。以来,我が家2階ベランダの日当たりの良い一等地に置き。厳しい寒さで葉が変色した時は,夜間は室内にとりこむ等して,開花を楽しみにしてきた。立春も過ぎ,そろそろ花の咲く頃と思っていた矢先,家内がベランダで大きな声を出した。「これ花じゃないかしら?」 書斎から慌てて飛び出し,家内の指差す先を見たが花らしきものが目に入らない。笑われながら,老眼鏡をかけて改めて見直して見ると,確かに小さな花が三輪咲いていた。直径3mm前後,オオイヌノフグリの花の直径は10mm前後,小さいとは知っていたが,想像以下の小ささだった。 イヌノフグリは繁殖力の旺盛なオオイヌノフグリにその生育地を奪われ,その数を大幅に減らし,環境省のレッドデータブック絶滅危惧II類(VU)に指定されている。花の大きさを眺めていると,その理由がわかるような気がする。これまで好きな花の一つだったオオイヌノフグリが少々憎たらしく感じられるから妙なものだ。 |
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2010.2.9 | |
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いぬふぐり 星のまたたく 如くなり 虚子 | |
私はイヌノフグリの花を見るまで,虚子の句をオオイヌノフグリのことを詠んだものとして,疑いもせず本ページで紹介してきた。「いぬふぐり」としたのは,オオイヌノフグリでは字余りになるので,単に省略したものと決め込んでいたが,イヌノフグリの小さな花を眺めていて,大きな疑問が湧いてきた。 直径3mm前後のイヌノフグリと10mm前後のオオイヌノフグリの花では,明らかに雰囲気が異なる。虚子はどちらを対象にこの句を詠んだのだろう?オオイヌノフグリは帰化植物だが,ヨーロッパから渡来したのは1890年(明治23年)頃。高浜虚子は1874年(明治7年)誕生,1959年(昭和34年)に没しているので,どちらも目にしている可能性がある。 ネットであれこれ検索して調べてみたが,残念ながら,このことについて触れているサイトは一つも見あたらず,多くのサイトが私同様,オオイヌノフグリの句として紹介していた。市立図書館へ行って,虚子の句集や全集を調べてみようかと思ったが,あまりにも手間がかかりすぎる。 そこで思い出したのが,本サイトの「私の歳時記」の俳句と情景文の作者・村岡茂夫氏。取りあえずメールで問い合わせたところ,即日,明快なご返事を頂戴した。 |
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2010.2.12 | |
☆イヌフグリには、イヌフグリ・オオイヌノフグリ・タチイヌノフグリがありますが、 季語としては「いぬふぐり」のみ。傍題として、いぬのふぐり・ひゃうたんぐさがある。 ☆花の名前は植物学と違って、普通、細かく種類までは季語にしていません。 ☆従って、この場合三種類のどれに対しても「いぬふぐり」を季語として使います。 ☆作者が俳句で言っていないのですから、 作者がどの「いぬふぐり」を詠んだのかわかりません。 ☆読者が詠まれた俳句が最もふさわしいと思えば、どのいぬふぐりでもよい訳です。 ☆一般的には、数も多く、ブルーのやや大形の「おおいぬのふぐり」が俳句では多数派。 ☆私も深く考えたわけではありませんが、 日本固有種のいぬふぐり派ではなく、外来種の「おおいぬのふぐり」派です。 ☆虚子がこの句を詠んだのは1944年3月(昭和19年3月)。句集600句にあります。 なお、関連して「すみれ」に似たような話があります。 「山路来て何やらゆかしすみれ草 芭蕉」 スミレは何の種か。そのことに興味を持った某植物写真家がこの句の詠まれたと同じ時期に、京都の伏見から大津ま での山路を歩いて確認したと言います。結論は「タチツボスミレ」だったとのこと。スミレも季語では種類までは規定していません。 |
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俳句にほとんど無知な私にも,成る程成る程,納得の行くご説明である。 これらを念頭に置いて,虚子の句を読み返して私が出した結論は次のとおり。 夜空には大小,様々な色をした無数の星がまたたいている。青白く大きな星はオオイヌノフグリ。赤みがかって微かにまたたく小さな星はイヌノフグリ,タチイヌノフグリやフラサバソウ位の大きさや色をした星もある。確かに俳句は植物学ではないので,種類まで特定しない方が想像の世界が広がり,より楽しくなるような気がする。 |