昭和20年〜30年代
昔の遊び


 昭和20年代から30年代の子ども達は外でよく遊んだ。塾やゲーム機のない時代,自然が遊び場であり友達だった。そんな時代の懐かしい「昔の遊び」の数々を,月平均3〜4枚水彩画でご紹介したい。

 
遊びの舞台は神奈川県横須賀市,現在「湘南山の手」と呼ばれている団地造成前の吉井や「馬堀シーハイツ」のある埋め立て前の馬堀海岸が主な舞台である。

 
この「昔の遊び」は一月から十二月までの一年間,その月々に相応しい遊びを選択して掲載していますが,その遊びが必ずしも,その月限定の遊びという意味ではありません。

 
遊びによっては,ある時期,ある季節限定のものもありますが,年間を通して親しまれた遊びも多々ありますので,この点ご承知下さい。
2005.7.1

水彩画・原文 藤井 俊二
加 筆・編 集 kamosuzu

藤井俊二氏の作品が「公募展横須賀」入選!


一 月 凧 揚 げ コ マ 回 し ベーゴマ  
二 月 チャンバラごっこ 長 馬 日向ぼっこ   
三 月 ソリ遊び 2B弾遊び 竹 馬   
四 月 石 け り 輪 回 し 電車ごっこ ゴミ焼き場の遊び
五 月 缶 馬 かくれんぼ 水 鉄 砲 アサリ捕り
六 月 ターザンごっこ ザリガニ捕り 竹トンボ  
七 月 かいぼり キモ試 素 潜 り  
八 月 海は楽し カブトムシ捕り トンボ捕り  
九 月 秘密基地 川 遊 び お 月 見  
十 月 栗ひろい 海 遊 び 柿 と り  
十一月 草 相 撲 山芋掘り のど自慢  
十二月 クギ打ち メ ン コ ビ ー 玉  





一 月


凧 揚 げ
 
  
 昔は何でも自分たちで作ったものだ。ある時オヤジが1.5m位の竹を使って骨組みを作り,それにビニールを貼り,四角ダコを作ってくれた。

 空中での安定性を良くするため,足の部分に荒縄をつけ,冬の強風を待った。しばらくしてゴーッという北風が吹き,揚げにかかるとタコは一気に10m位の高さまで揚がった。

 ところが風が強すぎたのか,足の荒縄が短かったのか,空中で2〜3回転して,地面にドスンと落ちた。ものの5秒ぐらいの滞空時間であったが,スリル満点だった。



コマ回し
 
  
 コマの中でも鉄ゴマが流行っていた。このコマは外周部に頑丈な鉄輪がまいてあって,普通の木のコマより少し重い。そのため地面にピッタリくい込み良く回った。

 ところが鉄輪はヒモを巻く時滑りやすく,しっかり巻いていないと良い回転ができない。そこでヒモを水にタップリ浸してからコマに巻きつける。ヒモがしっかり巻きついたコマをタイミング良く放すと,急回転でグリグリ音を立ててまわった。その瞬間は胸がスーッとして嬉しいものだった。 



ベーゴマ
 
  
 直径40cm位の桶にゴワゴワのシートを被せ土俵を作り,その上でベーゴマ(小さい鉄ゴマ)を回し,お互いにぶつけ合う。土俵の中で一騎打ち,外へはじき出された方が負けで,そのコマを相手に獲られてしまう。この遊びにのめり込んだ頃は,他の町内まで遠征したものだ。

 負けない工夫もいろいろした。ヤスリでコマの下をけずり重心を低くしたり,表面に鉛を流し重くしたり,角をとがらせたりと,なにしろ負けたらベーゴマを獲られてしまうので一生懸命だ。 





二 月


チャンバラごっこ
 
  
 チャンバラ映画が全盛だった頃,チャンバラごっこが流行った。ご存知「鞍馬天狗」を演ずるアラカンこと嵐寛寿郎,額に三日月形の刀痕「旗本退屈男」の市川右太衛門,「血槍冨士」の片岡千恵蔵等々の名優が輩出した時代だった。

 学校から帰ると,山の近くで木を拾い,肥後ナイフで削って木刀に仕上げ,チャンバラごっこをしたものだ。勢いよくぶつけ合うと,手がしびれた。堅い樫の木で作った木刀でやられると,弱い木で作った木刀はへし折られ,折られた方は逃げ出した。

 首に風呂敷を巻きマント代わりに股旅姿を気取ったり,また,傷ついた格好をして,仲間から「傷は浅いしっかりしろ!」と言われ,肩に背負われたり,これらの演技がうまいと,兄貴分からほめられたりしたものだ。



長 馬
 
  
 冬の遊びの代表格だ。10人前後の仲間が集まると二組に別れ,ジャンケンをして,負け組が長馬をつくる。一人が正面を向いて立ち,股を開く,そこへもう一人が腰をかがめて,頭を股の間につっこむ。その後ろに次々とムカデのように連なり,長い馬のようになる。そこへ勝ち組の連中が,次々に走ってきて,長馬に飛び乗る遊びだ。

 飛び乗られた重みに耐えかねて,崩れつぶされると,何回でも馬をやらされる破目になる。馬の役も楽ではない。足をグッと踏ん張り,前の仲間の両股をシッカリつかみ,頭を股にくい込ませ,身体全体に力をみなぎらせ,飛んでくるのを待つのだ。

 今か今かと待つ緊張感や面白さは,やったものでしか解らないだろうな!



日向ぼっこ
 
  
 私の家の近くにゴミ焼き場があった。そこの焼却炉のゴミの投入口は厚い鋼製のフタになっていた。そのフタの上はいつも程よく暖まっていたので,冬寒い時,子ども達はその上に載っては,サツマイモ等の食べ物を持参してバカ話をしたものだ。

 煙道も暖かく,そこは日溜まりになっていたので,バカ話に飽きると,のど自慢大会をしたり,「少年倶楽部」等の雑誌を回し読みしたり,それにも飽きると,寝そべって日向ぼっこをしたものだ。 






三 月


ソリ遊び
 
  
 3月に入っても昔は寒い日,氷が張ったものだ。近くのハゲ山に,水が染み出る場所があり,そこが凍ると,その氷面を利用してソリで遊んだ。

 樫の木を半分に割り,先を船の先端のように削り,ソリの刃よろしく作ったものに横板を取付,二本のロープを舵取りにして滑るのだ。滑る途中には凹凸があり,ズボンのお尻を切って,母の針仕事を増やしたものだ。



2B弾遊び
 
  
 2B弾遊びが流行った。花火の類で,マッチをする要領で点火する。その内シューと煙が出てきて,パン!と大きな音がする。点火して直ぐビンに入れ,フタを閉めて遠くへ逃げる。直後にボン!と鈍い音がして,フタが上空に3m位は吹っ飛んだ。

 このイタズラが楽しくて,仲間と時々やったものだ。爆発するかしないかの直前にフタを閉める。その瞬間の緊張感がたまらなかった。今なら,危険な遊びと言うことで,許して貰えないだろうな!



竹 馬
 
  
 竹馬は,竹2本と板4枚,それにナワが2本あれば簡単に作って遊べる。それぞれお手製の竹馬で,竹馬競走を良くやったものだが,急ぎすぎて石にけつまずき,痛い目にあうことも度々だった。足をのせるところのナワが緩み,高さがアンバランスになり,直し直し遊んだものだ。

 ……でも,なんと言っても竹馬に乗ると,目線が高くなって,普段見なれた風景が,いつもと違った感じに見えるのが一番楽しかった。





四 月


石 け り
 
  
 “丸とび”と呼ばれる石けりを,女の子達が良くやっていた。地面にスタートラインから順に1ケ,2ケ,1ケ,2ケ,1ケ,2ケ,1ケと合計10ケ位の円を描き,ケンケン(片足)で石をけり,手前の円から順に先端まで行き,折り返してスタート地点まで戻ることが出来れば勝ちになるようなゲームだったが,細かいことは忘れてしまった。

 もともと,主に女の子達のやる遊びだったので,なんとなく女々しい感じがしてあまりやらなかったが,なにかの都合でやらざるを得ないこともたまにあった。そんな時,好きな女の子の前で上手くできると,何故か胸がドキドキときめいたことを覚えている。



輪 回 し
 
  
 自転車のチューブをとって,車輪だけになった輪を,良く回して遊んだ。中には樽のタガを外してやっていたものもいた。グリグリという音がたまらなく懐かしい。

 上手くやるには,なにしろ速く走って,支え棒から輪を外さないことだ。だから,どっち方向へ行くか判らないままひたすら走った。



電車ごっこ
 
  
 長いナワやヒモで輪を作り,その内に皆んなで入り,ムカデのような列を作る。手に手にナワを握り「出発進行!」「発車オーライ!」「チンチンゴーゴー」と皆んなで大声を出し合う。適当な場所をグルグル回って,仲間を下ろしたり乗せたり,一人が速く走りすぎ,前の子にぶつかったりすると「急停車しますので,ご注意下さい!」と声をかけ合ったりもした。

 ただそれだけの単純な遊びだったが,男も女も,年上も年下も関係なく入り交じり,楽しく遊んだものだ。
長いナワやヒモで輪を作り,その内に皆んなで入り,ムカデのような列を作る。手に手にナワを握り「出発進行!」「発車オーライ!」「チンチンゴーゴー」と皆んなで大声を出し合う。適当な場所をグルグル回って,仲間を下ろしたり乗せたり,一人が速く走りすぎ,前の子にぶつかったりすると「急停車しますので,ご注意下さい!」と声をかけ合ったりもした。

 ただそれだけの単純な遊びだったが,男も女も,年上も年下も関係なく入り交じり,楽しく遊んだものだ。



ゴミ焼き場の遊び
 
  
 家の近所にゴミ焼き場があり,でかくて長い煙突が空に伸びていた。焼却部分はレンガ造りの地下式となっていて,二階から焼いたゴミが灰となって出る。その周りには僅かな空間の土地があり,そこを遊び場にしていた。

 ビー玉,石けり,メンコ,釘刺し,ゴム飛び等々を楽しんだ。中でも”かくれんぼ”は特に楽しくやったものだ。太い柱がトリデよろしくいくつもあり,レンガの壁,煙道,周囲の樹木,壊れかかった一坪ぐらいの小屋等々,隠れるのに好都合な場所がいろいろあった。

 50年前のごみ収集作業車は人力の大八車だった。その後しばらくして,牛馬が牽引するようになり,やがてオート三輪車,小型トラックと移っていった。小学校の頃,おじさんが重そうに引いていた大八車を,後ろから皆んなで押してやると,お駄賃を貰ったものだ。 






五 月


缶 馬
 
  
 缶詰の空き缶を利用。ヒモで結んだ缶の上に,足の前半分をのせ,馬になった気分でパカパカと歩くのだ。一見単純な遊びだが,人差し指と親指でしっかりヒモを押さえていないと,足だけ外れて空をきったり,小砂利等にひっかかり転倒したり,重心移動がうまくないと尻餅をついたり,意外と馬鹿にならない。



かくれんぼ
 
  
 皆でジャンケンをして,一番負けたものがオニになる。オニ以外は皆バラバラになって隠れ,オニがそれを探す遊びだ。昔は隠れる場所がいろいろあり,オニに見つからないように,意外な場所を探したものだ。

 壊れた暗い納屋。そこには,糞尿の桶と大八車があった。あばら屋の二階には鶏舎があり,そこへ隠れようとして,ニワトリにギャーギャー騒がれ,オニに簡単に見つかってしまったこともあった。塀越しによその家に侵入して,飼い犬にワンワン吠えられたり,噛みつかれたりした奴もいた。

 近所に醤油工場?でもあったのか,大きな瓶が道路に置いてあり,それも格好の隠れ場所になった。瓶の中は,狭いが不思議な世界で,石で瓶を叩くと,独特の音が響いた。雨の日はその中で,菓子を食べたり,他愛ないことを語り合ったりしたものだ。



水 鉄 砲
 
  
 近所の竹やぶから取ってきた青竹で作る水鉄砲作りは簡単だ。筒の部分は直径4〜5cmの竹を30cmほどの長さに切り,片側のフシにキリで小さな穴を開ける。次に,直径2〜3cm位の竹を40cmほどの長さに切り,筒の内側がいっぱいになる太さまでボロ布をきつく巻きつけると,押し棒ができあがる。

 筒に押し棒を入れ完成した水鉄砲の先を,バケツ等に汲んだ水の中に入れ,押し棒を引くと筒に水が吸い込まれる。筒に溜まった水を押し棒で一気に押し出すと,筒の先端にあけた小さな穴から,水が勢いよく噴き出す。

 初夏の暑い日差しの中で,水鉄砲で水をかけっこすると気持ちがよいが,その内エキサイトして,顔面中心に水を浴びせられると,一瞬息ができなくなる。こうなるとつかみ合いとなり,泣いたりわめいたり,ケンカのようになることもあった。



アサリ捕り
 
  
 4月の中旬を過ぎると,学校帰りに,よく馬堀海岸の砂浜へアサリ捕りに行った。現在は,馬堀シーハイツと呼ばれる住宅地になっているが,当時は埋め立て前で,広々とした砂浜と海が広がっていた。すがすがしい青空と,遠くに白い線のように見える波は,平穏そのものを象徴しているかのようだった。砂浜にあいた穴を,指でギューと押すとアサリにぶつかり,次々と面白いようにアサリが捕れた。

 ある時,皆で歓声を上げながらアサリを捕っていると,突然,「おまえら金を払って捕ってんだべな!」大きな声が鳴り渡った。恐る恐る振り向くと,鬼のような顔をした漁師が,がま口を腹に下げ立っていた。金がないのを知ると,それまで捕ったアサリは全て没収され「バカヤロー!こんなこと二度とすんじゃねー!」とすごまれ,皆,クモの子を散らすように退散したこともあった。





六 月


ターザンごっこ
 
  
 少年達の愛読書「少年クラブ」に「ターザン物語」があった。舞台はアフリカのジャングル。何故か?ジャングルに置き去りにされた人間の赤ん坊を,雌ゴリラが”ターザン”と名づけ育てる。

 ジャングルの動物たちと仲良く逞しく成長した少年ターザン。樹の上で生活することの多いターザンの移動手段は,ジャングルにぶら下がっている太いツルだ。ツルにつかまり振り子のようにぶら下がって樹から樹へと移動する。

 ある時,悪い探検家が現れ,野生人間として見せ物にするため彼を捕まえようとする。その時,ターザンが「ア〜ア〜ア〜」と大声で叫ぶと,ジャングルの何処からかゾウ・ライオン・ゴリラ・ヒョウなどが集まってきて,彼を助けてくれる。

 ターザンの勇姿を夢見る悪ガキ達は,森へ入り太いフジヅルにぶら下がり,ターザン気取りで「ア〜ア〜ア〜」と叫ぶ。この時の宙に浮いた気分は,なんとも心地よく,ジャングルの王者ターザンになったような気がしたものだ。 



ザリガニ捕り
 
  
 ザリガニは田んぼの畔などに巣穴を掘って棲んでいる。巣穴の丸い入り口を見つけると,片手を腕のつけ根ぐらいの深さまで突っ込み,指先をザリガニに挟まれないように捕まえる。

 ところが,ザリガニもハサミで必死に防戦するので,うっかりすると指先をギュッと挟まれることがある。ビックリして指を放すと敵の思うつぼ,逃げられてしまうので,多少の痛みは我慢する。

 どうにかして,地上へ泥んこまみれのザリガニを引っ張り出した時の快感は,お金では買えない,なんとも言えない喜びがあった。



竹トンボ
 
  
 乾燥した竹で,芯になる棒と羽根の部分を作る。羽根の部分は風切りを良くするために,左右片流れに薄く削る。肥後の守(ひごのかみ)と呼ばれたナイフで,薄く削るほど軽みができるので,ゆっくりと慎重に削り,その後,羽根の中心部分に穴をあける。心棒はできるだけ丸く削り,先端部を羽根の穴に差し込むと竹トンボはできあがりだ。

 できあがった竹トンボを両手で挟み,丸い心棒をグリグリ回転させて揚力をつけてやる。タイミングを見て竹トンボを空に向かって放すと,勢いよくキューンと舞い上がる。竹トンボが舞い上がる度に,ワーイ,ワーイと歓声があちこちから沸き上がったものだ。





七 月


かいぼり
 
  
 「かいぼり」は小川や池の水を汲み出して,コイ・フナ・ウナギ・ドジョウ・カエル・ザリガニ等を捕まえる遊びだ。田んぼの脇を流れる小川の二ヶ所を,田んぼの泥で堰き止め,堰の内側の水をバケツでかい出すと水が徐々になくなる。

 やがて,そこに閉じこめられた魚たちが逃げ場を失い,手でも簡単に捕まえられるようになる。水がほとんどなくなり,ヘドロ状態なった泥んこの中に両手を突っ込み,手さぐりで獲物を探すのだ。ヌルッとしたものが触れたらウナギ・ドジョウ・カエルだ。なにが出てくるかわからない。これがまた面白い。ウナギは当時でも貴重なものだったので,捕れたら大歓声だ。「そら!」「バケツ!」「網だ!」服の汚れなど気にしていられない。

 そう……でも,お百姓さんにもよく怒られた。何故って……小川の堰き止めに田んぼの泥を使ったり,知らず知らずのうちに田んぼを荒らしてしまうからだ。お百姓さんに怒られる?そんなビクビクした気持ちも心の隅にありながら,キャッキャッ言い,泥まみれになり,夢中になって遊んだものだ。今ではあの泥んこの匂いが懐かしい。



キモ試し
 
  
 夏になると,夜,悪ガキ達が集まって,火葬場の傍にあるお地蔵様へ「キモ試し」に出かけたものだ。生暖かい風,ススキのそよぎ,墓石の列,暗い夜の風景はそれだけでも気持ちが悪い。

 その中を三人一組になって,砂利道を踏みながら恐る恐るお地蔵様へと向かう。やがて,その内の一人が「出た〜!」と大声を上げると,「キャ〜!」と我先に逃げまどう。とても恐かったので,結局,誰もお地蔵様へは行けなかった。



素 潜 り
 
  
 水中メガネをつけ,モリを持って海に潜り,魚・タコ・貝等を突いて捕る遊びだ。夏になると,馬堀海岸や走水海岸に出かけ,クロダイ・ボラ・タコ・タコ貝等を太陽が西に傾くまで,夢中になって捕ったものだ。 





八 月


海は楽し
 
  
 夏には友達とよく馬堀海岸へ出かけ,潜りや釣りに夢中になった。クロダイ・メバル・アイナメ・ベラ・タナゴは勿論,タコ貝・アカニシ・バカ貝・アサリ等々一杯いた。魚は潜って突き,貝は潜って手で探り出し捕った。獲物は流木等を拾い集め浜で焼くと,香ばしい匂いが辺りに漂い,むさぼるように食べたものだ。



クワガタ・カブトムシ捕り
 
  
 クワガタやカブトムシを捕るには,早朝一番に虫のたかる樹をめざし,早く行った者にはかなわない。遅いとカナブン・ドロチョウチョハチがいるだけだ。なにしろ,薄暗い内に行くことだ。

 目当てのクワガタやオスのカブトムシを見つけたときは,胸が高鳴ったものだ。捕まえてカブトの身体をつかむと,逃げようとする強い力とギシギシさせる脚のもがきは,押さえるのに大変だ。ツメが指にガチッとかかるとそれは痛い!



トンボ捕り
 
  
 オニヤンマ・ギンヤンマ・ムギワラ・シオカラ・アカトンボ等々,これらのトンボ捕りの中でオニヤンマ捕りは最高に面白い。トンボの内ではでかく,風貌もなかなか恐くてごつい。色は黒と黄色のマダラが入っている。

 ところが帽子でも捕らえることができるのだ。オニヤンマは山あいのきれいな小川の上,同じところを何回も行ったり来たりしているので,うまくすると帽子でも簡単に取れるのだ。





九 月


秘密基地
 
  
 この秘密基地の仲間に入れて貰うには,兄貴分になにがしかの貢ぎ物(パン等)をあげたりしてゴマをすらないと,仲間に入れて貰えない。

 高い樹の「秘密基地」で,めいめいが持参した食物やローソクをともし地平線の山々や下を見ていると,なんだか違った世界に入った気がした。



川 遊 び
 
  
 モクズガニ・フナ・ヨシノボリ・食用ガエル等々。これらを捕まえるのは,みんなで足をバシャバシャさせて網に追い込み,獲物を一網打尽にするのだ。

 だが,良い獲物に限って,するっと逃げられてしまう。特にウナギは難しかった。ツルツルしてヌルーとしているから,どんなに狭いところでも抜けてしまうのだ。



お 月 見
 
  
 お月見のお供え物は子ども達が盗んで良いことになっていた。そこで我々悪ガキ達も,良く他人の縁側のお供え物を盗ったものだ。……ところが,仲間に連れられ,まさか自分の家へ盗りに行く羽目になろうとは,その時はいささか妙な気持ちだった。 





十 月


栗ひろい
 
  
 9月下旬になるとヤマグリは実る。高いところにある実は,みんなでクリの樹の根元を足で一斉に蹴る。するとバラバラと実が落ちてくる。それを靴底で踏みつけ,竹べらでイガをむくと,クリ色の可愛い実が頭をツルッと出す。



海 遊 び
 
  
 昔は,真夏が過ぎ去り寒い季節になっても,海で遊び潜っていた。散々潜ってメバル・タナゴ・アイナメ等々雑魚を捕り一息つくと,流木等を集めて暖をとった。ホット一息ついてふと海を見ると,素晴らしい夕陽がそこにあった。



柿 と り
 
  
 チョット高いところにある美味しい柿をとるには,手近な方法はとしてテングルマ(肩車の方言)が一番だ。友だちの股を両肩の上にのせ,持ち上げるのだが,これが結構重い。それでも,甘い熟した柿が喰えるので,重さも忘れ夢中になって,テングルマを交代しあってしたものだ。





十一 月


草 相 撲
 
  
 ラジオから流れる大相撲に人気があった。特に子ども達には人気があり,吉葉山・千代の山・鏡里等々の力士は輝かしい存在で,あこがれの力士の取り組みともなると,夢中になってラジオに聞き入ったものだ。

 それらの力士達が使った取り口を,野原に集まっては「ハッケヨイ ノコッタ」とばかりに,足をかけたり,寄り切ったり,サバ折りをしたりして皆で遊んだ。

 陽が沈む頃になると,ズボンはすり切れたり破れたり,泥んこまみれになって家へ帰ったが,怒られた記憶はあまりない。 



山芋掘り
 
  
 周辺の山々が秋めく10月〜11月中旬頃が「山芋掘り」のシーズンだ。自然薯と呼ばれる山芋は,田んぼ近くの笹や雑木等にからんでつるを茂らせ,その頃になると葉が黄色く色づくので,直ぐにそれと判る。

 当時はどこの家にも山芋掘りのクワがあった。掘りやすい場所は傾斜地で,労力が平地の1/3から1/4程度ですむので,先ずそこを一番に掘る。山芋を傷つけないように掘り進めると,笹や木の根等々の障害があり,中には粘土層にもぐり込んでいる長い芋もある。

 折らず傷つけけないように,細心の注意を払い掘り進め,壁にはりついている山芋をはぎ取る最期の一瞬は胸がワクワクする。パカッと長い山芋が無傷で取れた時はたまらない喜びだ。 



のど自慢
 
  
 ゴミ焼き場の鉄板製の炉の上に乗りながら,当時流行していた三橋美智也や春日八郎の歌を仲間たちと歌った。

 ボクが得意になって,両手を合わせリズム良く「♪ほ〜れ〜て〜 ほれ〜て〜」とやりだすと,皆が笑い転げる。それも顔や身体の動きまで三橋美智也そっくりにやるから,皆拍手喝采だ。

 めいめいが持参したサツマイモを食べ食べ,時の経つのも忘れ,仲間たちが替わりばんこに歌う。カラオケなどなかった遠い昔の思い出だ。





十二 月


クギ打ち
 
  
 五寸釘と呼ばれる太くて長いクギを使い,地面に立っている相手のクギを倒す遊びで,指の間にクギのT字頭を挟み,斜めから相手のクギにぶつけ倒すのだ。

 相手のクギを倒し,自分のクギが地面に立って入れば,相手のクギが貰える単純な遊びだが,コツがつかめないとぶつけることさえ難しい。そんなことから,エイ・ヤーとばかりに飛び跳ね,念じて投げる。 



メ ン コ
 
  
 地面に置いてある相手のメンコの横に,自分のメンコをたたきつけ,その風圧で裏返しにすれば,相手のメンコが貰える遊びだ。

 それにはチョットした工夫が必要で,メンコの右端をチョイとより曲げ,風圧をより多く与えるようにしてたたきつけると効果絶大,相手のメンコはクルリとひっくり返る。



ビ ー 玉
 
  
 地面に一本の線を引き,そこから2メートル位先に30cm位の円を描く。その中に一人2〜3個のビー玉をみんなで出し合い,ジャンケンで順番を決める。

 勝った者から順に,自分のお気に入りのビー玉を親指で押し出し,円の中のビー玉を外へはじきだす。はじき出した玉すべてが貰えるのだ。ところが投げた玉が円内に残ると,その玉は景品?になってしまう。

 それだけに「精神一到何事か成らざらん」の気持ちでやるので緊張する。うまく一度に3ヶぐらいはじき出すと”ヤッター”と得意満面だ。 

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