横須賀・鴨居
八幡神社・
夏祭り

2023年例祭
 
宵宮祭 なし
本 祭
  30日(日) 午後2時 各町神輿・山車神社前に集合
4時30分 お浜降り(神社神輿を海岸のお仮屋に据えてお神楽をあげその後各町神輿が一斉に浜に降り禊を行う。

 鴨居は昔漁村であったことから,今でもその名残りを随所で垣間見ることができる。例年,7月の最終土・日曜日に行われる鴨居・八幡神社の夏祭り(注)もその一つ,境内には金魚すくい・タコ焼き等の屋台30店くらい出店,半世紀くらい昔の世界へタイムスリップしたような懐かしさを感じさせてくれる。

 夏祭りのクライマックッスは,日曜日の夕方行われる各町内会神輿の「お浜降り」。この時,鴨居全域の神輿が,神社前の浜へ勢揃い。担ぎ手達は,競うように神輿を担いだまま海へ入り,首がようやく水面上に出るくらいの深さまで入って気勢を上げる。その勇ましい姿は実に壮観だ。

(注)鴨居八幡神社には,誉田別尊(ほんだわけのみこと)を祀る八幡神社,素盞嗚尊(すさのおのみこと)を祀る須賀神社,二つの神様が合祀されている。7月の最終土・日曜に行われる夏祭りは,正式には須賀神社の例大祭。八幡神社の例祭は9月15日に行われるが,本サイトでは一般的に知られている八幡神社の夏祭りとさせていただく。
スナップ集
 
 
 
観音崎自治会
 
 2005年7月30日(土)11時頃,所用で観音崎の浜の傍を通ると,三軒谷町内会の神輿が海に入っていた。周辺では海水浴客が泳ぎながら,浜辺ではバーべーキュー客が一杯やりながら,物珍しそうに眺めていた。
 観音崎の浜で三軒谷町内会の神輿を眺めながら,「観音崎自治会」と呼ばれる地域があることを思い出した。私は前々から,観音崎バス停近くにある町内会を観音崎自治会と思いこんでいたが,この辺りは三軒谷町内会だという。

 そこで,各町内の神輿が集結する八幡神社前に陣取り,「観音崎自治会」が現れるのを待つことにした。程なくして「観音崎」と書かれた提灯を高々と掲げた集団が現れ,中に世話人らしき方が見うけられたので,近づき場所をお尋ねしたところ,”バス停堀田”周辺と観音崎京急ニュータウンが観音崎自治会だと教えていただいた。
神輿の海上渡御(脇方)
    
 2010年7月25日(日)本祭り当日の朝,トッピキピーおどりが行われる鴨居・脇方へ下見に行った。脇方町内会館近くの道路脇崖地には大漁旗が多数吊り下げられ,いかにも漁村の夏祭りらしい雰囲気を醸し出している。

 とっぴきぴーおどりが演じられる浜へ出て見ると,舞台らしきものは何もなく,大漁旗で飾られた数隻の漁船が目に入った。近くにいた地元の人にお尋ねしたところ,これから神輿の海上渡御が行われると言う。鴨居の地へ越してきて早40年近く経つが,恥ずかしながら初耳だった。

 浜から埠頭に入ると,地元の人数十人が乗船を待っていた。よそ者らしき見物客は私以外は見当たらない。海上渡御の船団が通過する埠頭の先端付近に陣取り待つことしばし。午前9時丁度,水先船を先頭に神輿船・囃子船・見物船・警護船等,計6隻の漁船が次々と港外へ消えていった。
 
 
 
 
 
 
 

神輿船
 

囃子船
 
 
 港外で何をするのだろう?場所を埠頭先端から防波堤へ移動すると先客が二人,沖合で船団が円を描くようにパレードする様子をビデオ撮影していた。地元のご婦人らしい。他に見物客は釣り人を含めても10人足らず。船団はやがて,かもめ団地方向へ消えていった。

 撮影が一段落したところで,二人のご婦人にお尋ねしたところ,海上渡御は毎年行われ,船団のコースは鴨居港〜仲の谷戸(かもめ団地傍)〜観音崎〜鴨居港。午前9時に出船して11時に帰港するらしい。2時間に及ぶパレードなのに,走水神社の海上渡御に比べると見物客も少なく地味な感じは否めない。

 もっとPRして多くの人に見て貰えばいいのに?と思いながら,私が大きな心得違いをしていることに気づいた。「とっぴきぴーおどり」「神輿の海上渡御」は,ショーではなくて神事なのだ。大漁満足・五穀豊穣・海上安全等を祈念する為の儀式なのだ。
 
 
余   談
 海上渡御のコースについて,二人のご婦人から「鴨居港〜仲の谷戸(かもめ団地傍)〜観音崎〜鴨居港」とうかがったが,脇方町内在住の船頭さんから,メールで詳しい情報を頂戴した。

 海上渡御ですが,脇方町内は,鴨居港側とカモメ団地を挟んで,大室港(仲の谷戸)と離れて一つの脇方町内会で出来て居ます。 昔,カモメ団地周辺は磯で,山車・神輿が仲の谷戸に行く事が大変だった為に船で渡っていました。

 10年位前までは,ちゃんと神輿を仲の谷戸に降ろし,担ぎ回し,船の上の舞台でとっぴきぴー踊りもしていましたが,港の船の大型化で,スペースの問題,海上保安庁の許可の問題などで, 周辺をくるっと回って来るだけに成ってしまいました。当時は,脇方の漁船のほとんどが参加していて,大掛かりに行って居たんですがね!

 観音崎では,海水浴のできる三軒家の浜の沖まで行って帰ります。時間が無いので,神輿は下ろしません。大漁祈願の為に。鴨居の漁業権海面を走ります。鴨居漁港にある竜宮様の祈祷(奉納)の時間が有りますので,時間が押してると,それに合わせて早めに帰港する事もあります。
 
もう一つのお浜降り
  
 2016年7月30日(土)八幡神社夏祭り初日。観音崎の地元の方から「もう一つのお浜降り」と題するメールを頂戴した。「日曜午前10時に神社を海から見て右側の町内神輿数基が,観音崎のトンネルを越え三軒屋(観音崎レストハウス前)の浜に入ります。偶然居合わせた観光客(海水浴)が集まり、結構盛り上がります。」と言う耳寄りな情報だった。

 私は11年前の2005年7月30日(土) 偶然,三軒家の神輿が海へ入っているのに出会い,その事を本ページに掲載しているが,日曜日に近隣の町内会の神輿が揃ってお浜降りすることを知らなかった。善は急げ?翌日午前9時過ぎバイクで観音崎へ向かった。

 途中,腰越の釣具店を過ぎた辺りで「宮原町」「東町」「腰越町」の神輿と山車の行列を追い越した。更に進むと京急観音崎ニュータウンの入り口付近で「観音崎」の神輿と山車が待機しているのに出会った。
 
 お浜降りが行われる浜はYanoo!JAPANの地図とGoogleマップによれば,いずれも観音崎海水浴場となっている。実際に多くの人々が海水浴を楽しんでいる水質良好な海水浴適地ではあるが,更衣施設や監視・救護の体制等が整っていないため正式には海水浴場ではない。地元の人は「観音崎の浜」or「三軒家の浜」と呼んでいるが,正式名は不明である。

 その浜の周辺にある集落は「さんげんや」と呼ばれていて,浦賀探訪くらぶの案内板によれば現在は「三軒谷」と表記するのが正しいようだ。しかしながら,観音崎公園内にある砲台跡や園地の名前には「三軒家」が現在でも使用されている。また,メールを頂戴した地元の方のように「三軒屋」と書くケースも見受けられる。

 更に現在の正式町名は「宮原町」「東町」「腰越町」「観音崎」が鴨居3丁目,「三軒家」は鴨居4丁目だが,地元の人々はお互いを旧町名で呼び合っている。あまり細かいことに頓着しない大らかな性格の人が多い鴨居気質から来ているのだろう。そこで本ページでは旧町名を使用させて頂くことにする。
 
 観音崎町内会の神輿と山車を横目にしばらく進むと前方に二つのトンネル。左側が観音崎への上り車線専用で昭和9年3月竣功の鴨居隧道,右側が交通量の増加に伴い増設された下り車線専用で昭和46年3月竣工の新鴨居隧道。トンネルを抜け右側の下り車線を見るとトンネルの入り口前で三軒家の神輿が待機しているのが目に入った。どうやらそこで4町内の神輿を迎えることになっているようだ。
  
 バイクを降り,私もその付近で待機することにした。やがて下り車線・新鴨居隧道の車の通行はストップさせられ,上り車線・鴨居隧道のみの片側交互通行になった。神輿と山車の行列が近づいてきたようだ。

 しばらくすると,トンネルの向こうから神輿の担ぎ手のかけ声と山車のお囃子の音が聞こえてきた。行列がトンネルに入るとかけ声とお囃子がこだまして,一層威勢良く賑やかになった。「セイヤ!ソイヤ!」「セイヤ!ソイヤ!」トントコ・トントコ,ピーヒャラ・ピーヒャラ,トンネルがまるで巨大なスピーカーになったようだ。

 トンネルから神輿と山車が次から次と出てくる。役員さんのカンカン帽,古風な衣装や法被姿。昔ながらの髪型・装束をした先金棒の少女。数十年前の人々がタイムトンネルを抜けて現れたような昔懐かしい雰囲気が漂ってくる。尚,先金棒の若い女性を「手古舞」と呼ぶ地域も有る様だが,鴨居の少女達は行列の先導をするだけで舞うことはしない。
 
 
 トンネルを抜けた神輿と山車は,トンネルと浜のほぼ中間にある観音崎公園の第4駐車場に集結。5基の神輿が駐車場の左側,4台の山車が右側に勢揃い。すると,駐車場中央に設置された高い台の上に恰幅の良い一人の男性が上がり,オーケストラのコンダクターのような身ぶり手振りで指揮を始めた。

 それに合わせてお囃子が鉦・太鼓・笛を奏で,5基の神輿の担ぎ手たちは,申し合わせたように同じような動作・形で整然と神輿を担ぐ。指揮棒は扇子?のようだ。しばらくして,指揮者が拍子木を打ち鳴らすと神輿を馬と呼ばれる木製の台の上にのせ,全員で万歳・手締めで一連のセレモニーは終了して休憩に入った。
 
 
 30分ほど休憩した後,5基の神輿と1台の山車が浜へ向かって動き出した。先頭は先金棒の少女とカンカン帽の役員さん。続いて三軒家の神輿,しんがりは宮原町の山車。浜へは三軒家の神輿が先陣を切って入り,そのまま一直線に海の中へ。続く4基の神輿は海へ入らず浜辺で「セイヤ!ソイヤ!」「セイヤ!ソイヤ!」。山車は浜へ入れないため浜際の路側でトントコ・トントコ,ピーヒャラ・ピーヒャラ。それにつられて海水浴やバーベキューを楽しんでいた観光客も集まり,辺りは大賑わいになった。
 
 この日は夏には珍しく北風が吹き,海は濁り少し白波が立っていたが,三軒家の神輿は怯むことなく担ぎ手の首がようやく水面上に出るくらいの深さまで行ったり,また浜の近くまで戻ったりを繰り返す。その間4基の神輿は浜辺で神輿を差したり「セイヤ!ソイヤ!」「セイヤ!ソイヤ!」と声を張り上げ気勢をあげる。
 
 浜へ降りてから30分ほど過ぎた頃,指揮者の合図で三軒家を除く4基の神輿は,次々と浜から引き上げていったが,残った三軒家の神輿は波打ち際で,神輿を左右に大きく振る神輿振りを何度も繰り返して気勢を上げ続けた。しばらくして浜へ上がった担ぎ手達の表情は,皆ニコニコと晴れやかな表情をしているのが印象的だった。
 

観音崎のあれこれTOP   HOME