銀泉浴場

住所:横須賀市鴨居2-8-8
電話:046-842-0469
休日:第1・3・5火曜日

 銀泉浴場は鴨居・走水地域に唯一残された銭湯。以前,銭湯は鴨居に2軒,走水に2軒,計4軒あったが,住宅事情の変化,内風呂の増加と共に客足が減少,今では1軒だけになってしまった。因みに,浦賀地域には1軒も残っていない。

 銀泉浴場は浦賀駅から「観音崎」or「かもめ団地」行バス停「中台」の近く,薬ドラッグストア「クリエイト薬局」の裏にある。入り口はわかりにくいが,高い煙突を目当てに行けば直ぐにわかる。
2008.9.1
 銀泉浴場へ通じる道の入り口左側に「行幸之地」と刻まれた記念碑がある。太平洋戦争が終結した後,浦賀港は関東地区では唯一,外地からの引揚者の帰国指定港になり,昭和20年(1945)10月7日に第1船の氷川丸が到着。浦賀病院の前にあるL字形の突堤,通称陸軍岸壁に引揚者は上陸した。

 歓呼の声に送られて戦場に向かった人々も,帰ってきた時は歩くのもままならないくらいの栄養失調,また病気持ちの人が大半で7割の人は病院行きだった。また祖国を目の前にして亡くなる人も多かったと聞く。

 当時,引揚者の一時援護所が,銀泉浴場や市営住宅,クリエイト付近に設営され,主に非戦闘員の人々が入り,ここから故郷へ帰られたという。銀泉浴場の煙突は,援護所の施設として使用されていたものを,そのまま転用したものだという。

 昭和21年(1946)2月20日,昭和天皇は引揚者慰問のため鴨居を含む横須賀地区を行幸されました。天皇はその後,全国を行幸されますが,その第1号が横須賀だったといわれています。それを記念してこの碑が建てられました。碑は建立当時,現在,クリエイトがある敷地内にありましたが,再開発に伴い,現在の場所へ移設されました。
 外地からの引き揚げが一段落,住宅難の昭和28年(1953)頃,援護所の跡地を含む周辺地域に木造平屋建ての市営住宅が建てられ。昭和30年(1955)頃,地元有力者の肝いりで銀泉浴場が現在の場所に開業しました。

 昭和36年(1961)諸般の事情から,銀泉浴場の経営は現在の経営者にバトンタッチ,それからしばらくの間は,市営住宅や周辺のアパート,内風呂のない一般住宅の住民等でおおいに賑いました。

 しかしながら,周辺の住宅事情の変化,市営住宅の老朽化により住民の多くが退去したため,銀泉浴場を訪れる客も年を追うごとに減少。横須賀市は平成16年(2004)市営住宅の建替え工事に着手しました。
 平成18年(2006)度には市営住宅建替の第一期工事が終了。新しい市営住宅は「鴨居ハイム」と名づけられ,新住民の入居が始まりました。現在,A・B・G・H棟が完成入居済,C・D・E・Fの4棟が建設中。当然のことながら,全戸に内風呂がついている。銀泉浴場の経営者には申し訳ないが,私はこの時点で浴場の使命は終わり,いずれ取り壊されるものと思い込んでいた。

 ところが一向にその気配がない。何故だろう?その秘密が知りたくて,観音崎からの帰途,午後4時半頃,手ぬぐい1本を持ってぶらり立ち寄ってみた。先客はお年寄りが二人だけ。室内は天気が良かったこともあり,明るくまぶしいほどだ。

 湯船から眺める富士山のペンキ絵が懐かしい。ガラス越しに見る番台・下足箱・脱衣箱・脱衣カゴ・体重計等々。どれもが昔のままだ。20~60年くらい昔にタイムスリップしたような気持ちになった。

 「この雰囲気を記録に残したい。」風呂上り,経営者ご夫妻に,後日,室内の写真を撮らせてもらいたいとお願いしてみた。断られてもともとのつもりであったが,案ずるより生むが易しで,意外と簡単にお許しをいただけた。
 約束の日,営業開始午後4時の20分ほど前,銀泉浴場へ行った。開いている男湯の窓から中を覗き込むと,すぐそばに奥さんが居て,入り口を開けてくれた。男湯と女湯の境にかかった暖簾が懐かしい。
 先ずは女湯から写真を撮らせてもらうことにした。女湯に足を踏み入れるのは,勿論これが初めて。期待に胸をふくらませて?中に入ったが,脱衣場は男湯とほとんど変わらない。これにはいささか拍子抜けした。妙な期待をした自分が恥ずかしい。
 女湯浴室正面の壁面に広がるペンキ絵は,能登の見附島(通称軍艦島)。初めてお目にかかる絵柄だ。男湯の場合,私の記憶している銭湯の全てが富士山だった。女湯の場合,幼児や子供が喜ぶ汽車や自動車が描かれることが多いと聞くが,何故,見附島なのだろう?奥さんにこのことをお尋ねしたところ「私の故郷なの!」と少しはにかみながら答えてくれた。ご主人も同じ石川県のご出身とか。

 男女浴室の間仕切りの壁面を飾るタイル絵は富士山。やはり富士山は風呂場に欠かせない絵柄とみえる。浴槽は男湯と同じで,その形が珍しい。私が知る銭湯の浴槽は,全て四角い形で,ペンキ絵の下に二つ並んでいたが,銀泉浴場のものは,ペンキ絵から前に突き出るような形で浴室中央に設置され,その先端は丸く船のような形をしている。西日本に多い形らしい。蛇口は温水と冷水のカランだけで,シャワーはついていない。
 次に男湯へ。脱衣場は女湯とほぼ同じ。白いガラス張りの冷蔵庫や籐製の脱衣カゴが郷愁を誘う。ペンキ絵はお定まりの富士山。大きな壁面に描かれた雄大な富士山は,ゆったりとした気分にさせてくれる。この絵は東京の絵師が,平成13年(2001)に描いたようだが,手入れが良いせいか,その割に汚れが目立たない。タイル絵はスイス?の山々と湖。

 先日,何気なく見ていたテレビで,銭湯のペンキ絵を話題にしていた。ペンキ絵は東日本,特に関東地方の銭湯に特有のもので,西日本ではほとんど見られないという。銭湯の減少に伴い,ペンキ絵師も減少・高齢化。現在,絵師は東京に3名,神奈川に2名を残すのみとなり,後継者の存続が危ぶまれているという。

 ベテラン絵師ともなると,この雄大な富士山の絵を2~3時間で描きあげてしまうという。テレビでは,日本の庶民文化ともいえるペンキ絵を後世に伝えたいと,うら若き女性がベテラン絵師に弟子入り,奮闘する姿が映し出されていた。一人前の絵師になるには最低でも10年はかかるとか。うら若き女性が,果たしてその修行に耐えることができるだろうか?
 撮影後,450円なりを払って入浴した。私が一番風呂。その後,三人のお年寄りが待ちかねたように入ってきた。少し熱めの湯だが,一番風呂は兎に角気持ちがいい。手足を思う存分伸ばし,深呼吸してみた。内風呂では味わうことのできない開放感がある。

 最近,各地に日帰り温泉やスーパー銭湯なるものが,続々出現している。そこには,入浴施設の他に,レストランやマッサージルーム等が備えられている。それらの多くは郊外や観光地にあり,そこで顔見知りの人に出会うことはまずない。それはそれなりに歓迎すべき良さもあるが,銭湯の持つ地域の社交場的雰囲気とはどこか異質のものを感じる。

(割引入浴)
・中学生料金(生徒手帳提示)…100円割引
・小人2名まで(保護者同伴に限り)…無 料
余   談
 湯上り後,奥さんと雑談。不躾ながら,私の疑問をあれこれお尋ねしてみた。奥さんは嫌な顔一つ見せず,初対面の私にざっくばらんにお答えいただいたのには,ただただ恐縮。

 ご夫妻は74歳のおない年,奥さんが数日お姉さん。子どもさんは男女一人ずついるが,どちらも浴場経営を引き継ぐ意思はないとか。一日の入浴客は15~16人,収入は7,000円前後。これではとても後を継ぐ気にはなれないだろう。

 一日に収入が7,000円前後で,どうして経営が成り立つのだろうか?その秘密は? 私の執拗な質問にもかかわらず,包み隠すようなこともなく,淡々とお答えいただいた。

 先ずは借金がないこと。従業員はゼロで,ご夫妻だけで運営。燃料は,家屋解体時発生する廃材を100%使用,重油・ガスは使用していない。その廃材はご主人が時折,解体業の手伝いをして,貰い受けてくるとか。これだけの努力をしても,残念ながら,台所は苦しく経営的には成り立たないという。

 それを支えているのが,横須賀市の「入浴利用券の交付」制度と神奈川県&横須賀市の「公衆浴場補助金」制度のようだ。それと,何よりも大きいのが,ご夫妻の銀泉浴場に対する愛着・情熱のようだ。お二人がいつまでもご健康で,銀泉浴場が10年・20年先まで存続することを願わずにはいられない。

燃料の角材
入浴利用券の交付
 
 横須賀市では、65歳以上のひとり暮らしの方に、地域交流や孤独感の解消等を目的として、市内の公衆浴場の入浴料を補助する入浴利用券を交付しています。

●交付枚数:月4枚(申請日により枚数が違います)

●申請手続き:
 民生委員を通して申請書(所定の用紙)を提出していただきます。
 民生委員を通して、ひとり暮らし高齢者としての登録が必要です。

お問合せ先
横須賀市小川町11番地 分館2階 <郵便物:「〒238-8550 介護保険課>
民生局福祉こども部介護保険課 福祉サービス係
TEL:046-822-8255
FAX:046-827-8845
横須賀市入浴利用券の対象公衆浴場(26軒)
 銭湯のことを法律上では公衆浴場というが,その公衆浴場が横須賀市内にどれだけ残っているのだろうか?「神奈川県公衆浴場業生活衛生同業組合」のホームページで調べたところ,30軒がリストアップされていた。ところが,約半年前に廃業したはずの馬堀町の「松の湯」が含まれている。

 念のため,入浴利用券の発行元「横須賀市・健康福祉部長寿社会課」へメールで確認したところ,平成19年12月現在として下記リストが送られてきた。公衆浴場の件数は27軒に減っている。さらに,その後廃業した馬堀町の「松の湯」を除くと,現在は26軒となる。

 公衆浴場の最盛期にはどれだけあったのだろうか?同課へ問い合わせたところ,
「正確な数はわかりませんが,昭和45年(1970)ごろには100軒位あったとのことです。」とのご返事をいただいた。約40年の間に,四分の一に減ってしまったことになる。

 26軒の内には,久里浜の万葉湯のように,小規模ながら「やすらぎの湯・万葉」としてスーパー銭湯のようにリニューアル。地の利にも恵まれて,活気のある銭湯もあるようだが,多くの銭湯の経営者が高齢化,後継者難のため、いずれ消え行く運命にあるとか。因みに,「やすらぎの湯・万葉」にはペンキ絵は残されていない。

(追記)
 本ページ再編集に当たり最新情報を調査したところ令和3年(2021)現在,横須賀市内の公衆浴場は14年前の27軒から12軒減少,下記の通り15軒となっていることが判明した。尚,本ページに掲載した鴨居の銀泉浴場は現在も健在なので,お近くの方は是非お出かけ下さい。
地区名 浴場名 住所 電話番号 記事
本庁地区
(13)
大黒湯 本町 2-21 824-4481 廃業
大黒湯 汐入町 4-9 822-2597 廃業
亀の湯 汐入町 5-2 822-4425  
桃の湯 上町 1-97 822-3744 廃業
当り湯 上町 4-99 822-2857  
新世館 富士見町 2-1 826-1545 廃業
大徳湯 佐野町 1-5 851-0177 廃業
斗の湯 佐野町 1-7 851-0983 廃業
常盤湯 佐野町 3-8 851-1849  
松の湯 佐野町 5-5 851-1822 廃業
富の湯 三春町 3-31 823-3316 廃業
松の湯 安浦町 2-22 823-3833  
日の出浴場 安浦町 3-9 823-3732  
追浜地区
(2)
鷹取温泉 鷹取町 1-57 865-2031  
ニュー松の湯 追浜東町 3-47 865-4546  
田浦地区 竹の湯 船越町 1-51 861-4204  
逸見地区 新湯 吉倉町 1-24 823-6228 廃業
大津地区 宮本温泉 大津町 3-7-3 836-6404  
松の湯 馬堀町 2-9-15 841-3364 廃業
衣笠地区
(4)
菊の湯 小矢部 1-7-2 836-4527 廃業
報徳湯 公郷町 2-23-1 852-6011 廃業
やすらぎ温泉 平作 1-2-20 851-1126  
明徳湯 平作 8-6-2 851-0382  
浦賀地区 銀泉浴場 鴨居 2-8-8 842-0469  
久里浜地区
(3)
万葉湯 久里浜 1-6-1 837-4133  
梅の湯 久里浜 4-10-8 835-8070  
西の湯 久里浜 8-14-1 835-6574  

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