谷内六郎
燈 台 の 絵

観音埼燈台にて 波のピアノ
     
 谷内六郎さんの絵には燈台が数多く登場する。観音埼燈台との出会いは昭和37年頃。以来,海と船と燈台のある観音崎の魅力の虜となった。たびたび訪れる内に,谷内六郎さんの燈台好きが知られて,昭和46年(1971年)には一日燈台長として招かれ,これを記念して「観音崎燈台にて 波のピアノ」と題する水彩画を寄贈された。この絵は以前,観音埼燈台の燈台長室に飾ってあったが,現在は社団法人 燈光会本部の専務室に飾られている。

社団法人 燈光会蔵   (C)Michiko Taniuchi
燈台のある表紙絵
  
 燈台好きの谷内六郎さんが,週刊新潮の表紙絵に幾つ燈台の絵を描き残しているだろうか?そんな疑問が頭の中でムクムクと頭をもたげ,昭和31年の創刊号から,昭和56年までの表紙絵1335枚を全て掲載しているzizi's Websirht(現在リンク切れ)にアクセス。サムネイルに燈台らしき絵がある表紙絵を片っ端から拡大。なんと18枚の絵を見つけ出した。

 これらの絵と「表紙の言葉」を本サイトに掲載できないだろうか?しかしながら,私の手許には一枚の絵も残っていない。私は厚かましくも,ziziさんにお願いのメールを発信した。”貴サイトに掲載されている表紙絵の内,燈台が描かれている18枚の絵を転載させていただけないでしょうか?それと,それぞれの「表紙の言葉」もコピーして送付していただけないでしょうか?”なんとも我ながら図々しいお願いである。

 お願いのメールを送信してから三日後,ziziさんから18枚の燈台の絵と「表紙の言葉」をコピーしたCDが送られてきた。あまりにも素早い対応に,ただただ感謝!感謝!恐縮するばかりだ。
発行年月日
(昭和)
題   名 週刊誌
定価(円)
記事
34.09.28 赤とんぼ 30   
35.08.01 雲の物語 40   
37.09.24 白き初秋の夢 40 観音崎に初来訪
38.05.06 あしたは遠足 50   
.39.09.14 赤とんぼ 50  
40.07.10 燈台の子 50  
41.06.26 かにの燈台長 50   
41.08.27 貝殻燈台 50   
44.09.27 霧をぬぐうワイパー 70   
45.07.25 静かな燈台 80  
48.09.20 階段の靴音 100 S.46年・一日燈台長 
49.09.19 赤とんぼが葉に火をつける 130 観音崎にアトリエ
50.09.04 燈台の子 150  
52.09.22 光をつかう燈台の子 150 観音埼燈台 
54.05.24 UFO 180   
54.08.16 白い帽子の夏 180   
54.10.11 秋のかげろう 180   
55.08.14 UFOだ 200   
番外−1 燈台の見える丘   観音埼燈台
番外−2 「観音埼燈台の絵」の包装紙   観音埼燈台






赤とんぼ
昭和34年9月28日号
 

(C)Michiko Taniuchi
 
 
 初秋の陽ざしがホロホロと草むらにカゲロウを燃やし,灯台の子は赤とんぼの赤い尾は海の夕焼雲から生まれたようだと思っているところです,秋になると食器のかげにも灯台の白壁にうつる屋根のかげにもデリケートなリズムがあるように思えます,灯台は大きな貝の殻です,人間が作った白い大きな貝殻は夜になると殻だけがピカピカ光ります

 ボクは旅行に行く時たいてい好きな絵の出ている美術雑誌を一冊もって行きます。時にはルソーの絵でありクレーの絵であり山下清の絵であったりします,旅館の部屋でしーんと絵を見ていると頭の中にすっかり吸収されるようです,しかし吸収したわりにボクの絵が発展しないでどうかと思うが,しーんとしたポツンとした一人の場所で絵を見ると,その絵を描いた人と話し合っているような気持ちになって心がほのぼのとします。





雲の物語
昭和35年8月1日号
 

(C)Michiko Taniuchi
 
 
 雲をジッと見つめているといろいろなものになって見えます,象になったり人形になったり,外人の顔になったりします,これは自分の心の中にあるいろいろなカタチが雲に投影するからです。

 雲がギリシャ彫刻の顔に見えたのでジーッと見つめていると,だんだんその顔が変わって今度はドーミエの描いたピエロの顔に見えて,それも変わってボナールの描いた女の顔になり,次第に雲が散って顔がなくなって,しばらく抽象画の世界のようなものになって,とうとう消えて行きました,青い空間だけでは心を投影させるものがなく,視線は宇宙を走るのでそれを放心というのでしょう,そうなると、とりとめがなくコワイ感じです,やはり型があって安心な気持ちでいられるのでしょう。





白き初秋の夢
昭和37年9月24日号
  

(C)Michiko Taniuchi
 
 
 白い灯台が静かな初秋の空にポッカリあるところ,水辺のもとに千鳥が何か千鳥言葉でそれぞれ語り合っています,静かな木に白い灯台が少女の白い帽子のようにポッカリうつっています。

 夏の大気のが去って静寂に満ちる初秋の空白感,つまり気候の変わりめにぼくは少年時代からゼンソクをおこしたためかこの静寂な空白感を人一倍敏感に感じて来たようです。

     静かな秋の昼さがり  
     白い郊外の坂道を 
     兵隊さんがラッパを鳴らして通った

 ぼくの少年時代の詩ですが,初秋の静寂さを白のイメージで表現しようとその後も「白い構成」とか「白い設計」とか初秋を白で表現しようとしましたが,才能がいたらずなかなか出来ませんでした。





あしたは遠足
昭和38年5月6日号
 

(C)Michiko Taniuchi
 

 
 遠足に行く前の日の夜はなかなか心が落ちつかず眠れないものです,まくらもとに新しいハンカチやキャンデーやチョコレートなどをキチンと用意してあれこれと明日のことを考えるのです。

 まくらもとの時計のセコンドの音までがいつもと違った感じできこえて来ます,それは嬉しくて寝ようとしても眠れない子の心の鼓動のように音が空想の波紋になり広がるのです,波紋はやがて水たまりとなり水の中にはメダカやフナなどもいるようです,もうすぐ灯台につきます,灯台の下の磯についたらオベントウになるでしょう,男の子はカニや小魚をつかまえるのが上手だからカニとチョコレートをとりかえてもらうのだ……,次から次にと明日の遠足の楽しさが頭の中にフクレ上って一パイになりなかなか眠れない夜です,しかしこう交通などがゴチャゴチャした時代だと先生の方は責任で眠れない夜かもしれません,なかなか大変です。





赤とんぼ
昭和39年9月14日号
 

(C)Michiko Taniuchi
 

 
 初秋になると静かな白と,海の青のコントラストの燈台を思い浮かべます。

 なんとなく影が深まって,心が落ちこみそうな空気を感じ,夏の暑さに反射していた白い壁が,秋になると心を吸いこむような白に変わります。

 燈台は,どこでもロマンチックな感じです,八丈島の燈台は,燈台までの白壁の道の奥行きが遠く,その構成もたいへん美しく感じました,たとえば,その道にリズム感や知性美というようなものを感じます。

 そんなわけで,どの一部分を取っても絵の材料でいっぱいです,白い壁の潮風に洗われたはだざわりなど,どの部分も絵になるものです。

 初秋になると,なぜだろうか,燈台のある白い坂道を想うのです。





燈台の子
昭和40年7月10日号
 

(C)Michiko Taniuchi
 

 
 燈台の子は朝になるとお兄さんの運転する車で町の学校に行きます,お兄さんは町の水産試験所に働いているようです。

 夜明けのヒグラシ蝉が,暑い日中のアブラ蝉に変わる朝のひとときです,ヒグラシは夕方と夜明けにおもに鳴きます,地も空もカッと照り,どうしょうもない暑さの日中は,木かげの中で潮風をうけているのが一番天国です。赤松の林などは潮風にちょうど波の音のようにサワサワ鳴ります。

 昨年房総の燈台を見学したら,とても燈台の家族の人が親切に茶菓子などごちそうしてくれて色々と燈台の中を説明して下さいました。

 むつかしい機械のことや海洋関係のことはさっぱり分かりませんでしたが,なんとなくロマンチックに感じてしまうのはどうも外見だけで,たいへんむつかしい学識と体験の仕事だと思いました。





かにの燈台長
昭和41年6月25日号
 

(C)Michiko Taniuchi
 

 
 壁面の白さと青い海が静かな夢をさそう燈台です,無人燈台というオートメの燈台はひっそりとしていてそれはかくべつ静かで潮騒の音だけです,カニはいつでも望遠鏡をもっていて沖を見ています。

 白壁と澄んだ青の世界には時たま黒マントの怪人が白手袋とステッキでスーッと現れて来そうです,そうして燈台のテッペンでクワン,クワン,クワンという声で笑い,計画がうまく行くぞとつぶやくことになっているのです,シガレットケースから上品にタバコをスーッと出すと火をつけようとするが火がつかないので何回もやり直し,何べんもやるとフイルムが無駄になるので,とりあえずはその場面はなしで次の活劇にうつらないと空が雲って来る,テレビ映画ロケはせわしげに仕事をすまして帰っていきました。





貝殻燈台
昭和41年8月27日号
 

(C)Michiko Taniuchi
 

 
 月見草や燈台の明りが目立つ夕方になると貝殻も不思議な発光体をもっているのか,あたりにボンヤリ青白い明るさを放ちます。

 貝殻の巻き貝の中をのぞくとちょうど燈台の中をガランガランと登って行く気持ちになります。

 ぼくは夏になるとたいてい夏の終りに近い,もう海水浴客もあまりいない海辺へ行くのが好きです,騒々しさのなくなった海辺は澄みきって何か心を吹きぬける絹の糸のようなものを感じます,砂丘の足あとを風がサラサラ砂をかむして消して行く,忘れて行った海水帽にも風が砂をかむして行く,二人連れは渚の果てまで点のように遠く去る,夕陽に赤い帆が行く,雲にバーンしてEND(テレビのメロドラマものをぼくは見すぎるようです)





霧をぬぐうワイパー
昭和44年9月27日号
 

(C)Michiko Taniuchi
 

 
 ススキは朝霧をぬぐうワイパーです,たちこめている霧は雨にでもならない天気のよい日だとまるでウソのように一瞬に消えるようです,それは朝陽に消されてしまうのでしょう。

 秋の冷気とかすかな夏の名残りの空気が岬の向こうにあるようです,燈台の白さは夏の陽に照り秋には陽を吸ってしまうかのように静かです,燈台の白,建物の白,白というのはなんとなく哀愁めいたものを感じさせます,それがとくに壁だとそんな気分になるのです,パリの白壁,ユトリロの秋の絵,白い教会,秋のあわい陽ざしがかげろうのようにそれを包み絹糸をすくような空気があたりに漂います,白は秋の陽をきっと吸い込んでしまうようです,あの夏の日の白壁はまばゆくあたりに針をまきちらしていたようだったのに,秋は又人の心も外界を吸い込んでしまうようです。





静かな燈台
昭和45年7月25日号
 

(C)Michiko Taniuchi
 

 
 遠い波の音だけで燈台はいつも静かです,白い静かな壁に怪人がスッとかくれたような気分にとらわれます,白い壁なので怪人の姿は外国風です,もちろん燈台というものが何となく外国につながる夢を持っているせいでしょう,これがお城の白壁だと忍者風の黒装束の怪人になります,日本のお城にルパン風のが現れてもピンとこないことはたしかです。

 先年,伊豆の島で燈台に行った時,その中に住む家族の子供に会い,何となく「一人ぼっちの燈台の子とカラス」という小説を書きたくなり,ノートに宿で走り書きしました,現在もその発想をもとに色々工夫しているところです。

 ぼくはどこへ行ってもすぐに物語を作るくせがあります,ただあまり空想的になりすぎて作品にならないのが特徴ですが絵にはなります,それで物語風の絵になりがちです。





階段の靴音
昭和48年9月20日号
 

(C)Michiko Taniuchi
 

 
 灯台の入り口に階段の登る人の靴の音がひびきます,ラセン状の階段だから登る人の姿は見えません,ただ靴音だけがコツコツとひびいて来ます,入口にいる子供はその靴音が何か怪人の靴の音のように思えてなりません,あたりは静かな初秋の空気が澄明に静かです。

 秋になると「ああ又秋が来た」とため息のように出ます,「ああ又夏が来た」という言葉はあまりため息のように出ません,秋はやはり植物が枯れたりコン虫やプランクトンが死んだりする,そういうものが人間にも作用するのでしょうか,たいてい秋はさみしい感傷がつきまといます,そういう感傷みたいなものをいくら捨てようとしても,どうしても秋の空気につつまれると,意志ではどうにもならないすきま風のように心の中に感傷が入るのは,一体どうしてだろうか不思議でなりません,秋と人間の脳とアドレナリンホルモンのバランスということもあるのか?日本の文芸の歴史的な感傷の伝統だけでないもっと科学的なものがあるようにも思えます。





赤とんぼが葉に火をつける
昭和49年9月19日号
 

(C)Michiko Taniuchi
 

 
 赤とんぼがツタの葉に火をつけはじめ,だんだん燃えて広がって山は赤くなる,コオロギが胸にしみる音で鳴き,陽ざしの草むらに秋のかげろうがゆれて,濃い陽かげの中に心がおっこちそうにハッとなる,初秋はそんな感じに満ちる,燈台の白も夏と違ってスーッと吸い込まれそうになる白の色です。

 そう,白のイメージとして子供の頃,玉川の白い浄水場あたり,白い川砂利を夜明けから終日立ち通しで,金網で選ぶ労働をしていたチョウセンの白服の夫婦がいた,あどけない少女が夏の暑さにも水あそびもせずにハダシで手伝っていた,砂利の熱で足の裏は黒くなって痛々しかった,そまつなベントウだった。

 だからぼくは今でも『この李朝期の白磁の白のさみしさがいい』などという芸術論をきくと何だか悲しい,李朝では時代も遠いけど,そんな生活のことと芸術を考えるとやっぱり観念論と唯物論の二つの地球が重くのしかかってくる,一つの白のイメージでも色々に考えが発展するのだから哲学者でもあると言いたい。





燈台の子
昭和50年9月4日号
 

(C)Michiko Taniuchi
 

 
 秋になると影が濃くなります,白が浮かん鮮やかに見えます,夏の大気の中にあるモヤモヤしたものが消えて物と外界の区切りがハッキリとして,それぞれ物が孤立して存在感をはっきりとさせます,きっと空気が澄むせいでしょう。

 白い空間をもつ燈台に初秋の空気が一ぱいにあるのは,白壁の中に冷気をもった秋のかげろうが絹糸をすくように漂っているせいです,白と秋,白い秋,白秋などと昔から白と秋が結びつくのはそんな感覚から来ているのでしょうか?

 ぼくは燈台が好きでよく燈台にはスケッチに行きましたので,色々な燈台を思い出します,小さいのや大きいのや色々です,勿論秋空に映える白い土蔵も美しい物です,スペインとかアラビアの方の暑い国の澄んだ青空と白い壁の家々のコントラストも実に美しいと思います,白と初秋の燈台の子を描いてみました。





光をつかう燈台の子
昭和52年9月22日号
 

(C)Michiko Taniuchi
 

 
 燈台の上から鏡の反射,さすが光を利用する燈台の子です。

 ぼくはあの静まりかえった白い午後の燈台が好きで,たいてい海辺の燈台は立寄ってみます,白の中の不思議な静けさ,遠い沖の白波,そんなコントラストがたまらなくいいし,やはり海洋ロマンチシズムという派に入るようです,風力計などがカラカラまわる午後の陽ざしの中ではとくに別世界に行ったような気分になれます。

 初秋から秋の陽ざしの白は胸にしむこむものがあります,この表紙の言葉もK燈台から帰って来て書いております,たいぶ前にぼくが一日燈台長をやらせてもらったところです,そこにはぼくの絵が燈台長室に飾ってあり,時々お茶を御馳走になりに行く燈台です。

 光放射の型式から電波放射に移る時代になって来たようで,今にこうした白い燈台も姿を消して行くのでしょう,燈台も又SLのように去っていくのでしょうか。
K燈台 : 観音埼燈台





UFO
昭和54年5月24日号
 

(C)Michiko Taniuchi
 

 
 しゃぼん玉のUFOが静かな白い燈台に神秘的に飛んでいました,晴れた日の午後の燈台でありました。

 白い建物と言えば,日本では昔からフランス洋式の燈台だけ,白い建物が風土の関係で必要なかったようです,もっとも土蔵の白壁というのはありましたが,全体が白いというのは静かな気分になれるものです。

 行ったことはないけれど,エーゲ海とか地中海方面にはずいぶん白い建物があるようです,紺青の海と白い建物はとても美しい,よくカラー写真で見ます。

 白壁に影だけのモチーフで絵を描いていても無限に描けそうです,影とは不思議な空間を暗示するものです,影だけで存在感が出ます,UFOも地上の光の影がしんきろうのように投影されるものなのか?でも,宇宙人だと思った方が夢があっていいです,中国やソ連のUFO情報も欲しいものです。





白い帽子の夏
昭和54年8月16日号
 

(C)Michiko Taniuchi
  

 
 燈台も白い帽子をかぶっていました,入道雲も白い帽子でした,はげしく躍動する夏の海,燈台の坂道から白い防波堤の道を行くと,都心部から来たらしい幼い子が海を見つめて全身で驚き,感動していました。

 初めて海を見るらしい,この純粋なひととき,そのはしゃぐ様子にぼくは涙してしまった,こんな時,人間の生きているものの本当の姿がある,幼子につれそった母親も感動の身ぶりでわが子の手を引いて海辺へと降りて行きました,その姿よ永遠に,などと祈る,人間への祈りとなって,潮騒の中に多少感傷的なぼくの心もとけ合って行きます。

 一日の休日,幼い子や母親にとって何年にも匹敵する海とのふれ合い,とくに山里の人や都会の人にとっては,ぼくはそのいじらしいまでの荘厳な感動を拾う絵かきになりたい。





秋のかげろう
昭和54年10月11日号
 

(C)Michiko Taniuchi
 

 
 白い燈台の陽だまりに,たしかにゆれるものを見ます,とくに秋の秋の陽の中に透明なゆれるもの,それはたしかにかげろうです,透明なもやもやとしたかげろうの中で,コオロギは強い音で鳴いています。

        秋はすきとおる風船
        燈台のまわりにも
        びんのまわりにも
        もやもやとあがる
        風船

        秋はすきとおる風車
        土蔵のまわりにも
        木立のこずえにも
        からからとまわる
        風車

        秋は胸もすきとおる。





UFOだ
昭和55年8月14日号
 

(C)Michiko Taniuchi
 

 
 燈台見学の子が帽子を風に飛ばしてしまい,下で見ている子は一瞬UFOだと思いました。

 よく子供に聞くと,UFOを見たと言います,又,大人の人でもかなりUFOを見ている人がいます,ぼくは俗人のためかまだ一回も見ることができません,何とか見たいと夜中に空を見つづけて首が痛くなってしまいました,UFOは人を選ぶそうです,宇宙人もぼくが好きでないらしい,子供たちはよく見たと言って来ます,中国やソ連のUFO報告がまだ入らないのは残念,ソ連や中国は広大だからきっと見た人が多いに違いありません,シルクロードでなくUFOロードもあるに違いない? と,ぼくは空想します,何千も前から飛んでいる,そんな夢です,シルクロードも無限の夢,UFOも又そうです。





燈台の見える丘
 

横須賀美術館蔵
(C)Michiko Taniuchi
 
 日本の海岸線には沢山の燈台があります。明治・大正の頃から沢山の画家が燈台を絵にしました。青い海をバックにスッキリと白の燈台はまったく美しいものです。日本最初のこの洋式燈台が出来たのは明治元年,観音崎燈台だということです。

 レーダーと電波による航海案内が発達している近頃,又燈台もSLのように歴史の中にさよならして行く日が来るのかもしれません。ぼくもずいぶんと伊豆や房総や三浦半島あたりの燈台を歩きました。





「観音埼燈台の絵」の包装紙
  
 2006年1月新潮社から発売された「谷内六郎 昭和の想い出」という本は,谷内六郎さんに関する”あれこれ”がぎっしり詰まった谷内フアンにお薦めの本だ。そこに,谷内六郎さんデザインの包装紙を使用している和洋菓子店が京急大津駅前にあると書かれてあった。
 
 バイクを飛ばし,京急大津駅前にある和洋菓子店「大津坂倉」へ行ってみると,店内の壁に,本で見たと同じ包装紙用に描いた絵と「観音崎」と題する詩が,額装して飾られていた。

 おかみさんのお兄さんと谷内六郎さんが親しくしていた関係で,デザインを引き受けてくれたという包装紙は今も現役で,「観音崎の石畳」「おとたちばな」という観音崎に因んだ二種類の和菓子を買い求め,その包装紙に包んで貰った。

 あれこれお話をうかがった帰り際,店の若奥さん?が,写真を撮りやすいようにと,折り目のない色違いの包装紙を二枚,丁寧に丸めて包んでくれたのには感激。バイクの狭いメットインへ慎重に,まるで宝物でも納めるようにして帰宅した。
   

(C)Michiko Taniuchi
  

(C)Michiko Taniuchi

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