千代ヶ崎砲塔砲台跡
起 工 | 大正13年(1924) |
竣 工 | 大正14年(1925) |
大砲種類・砲数 | 据付 | 除籍 | 旧砲塔搭載艦 | |
45口径30センチ加農砲2門・砲塔1基 | 大正14年6月 (1925) |
昭和20年8月 (1945) |
戦艦・鹿島 |
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以下,工事中! | |
千代ヶ崎砲塔砲台は第一次世界大戦後の大正14年(1925)に据付終了。太平洋戦争が終戦を迎えた昭和20年(1945)まで現地に据え付けられていた。しかしながら,戦後,米軍により破壊されてしまったため,現在その場所には直径約10m位の巨大な穴が残されているのみ。僅かな救いは,砲台の地下施設である副機関室・畜力機室・機関冷却用水槽及び観測所が廃墟のまま残されていること。 私は砲塔砲台跡をこれまでに平成18年(2006.2.3)と平成30年(2018.7.15)の2回見学しているが,その時は,恥ずかしながら「砲塔砲台」が何たるかも知らず,単に興味本位で観音崎砲台や千代ヶ崎砲台と同様の砲台跡と思って見学。砲台跡等の遺構があまり残されていないことに失望したのが真相。 砲塔砲台が当時としては画期的な砲台であることを知ったのは,今年1月学研・日本の戦争遺跡シリーズ「日本の要塞」を目にしてから。本来ならば改めて見学したいところだが,高齢化による足腰の不調もあってままならないのが現状。そこで苦肉の策として,2回見学の際に撮りためた画像を「日本の要塞」等を参考に整理してみた。 |
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2025.7 | |
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![]() 柵門前方中央部が砲塔砲台跡 2018.7.15 |
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砲塔砲台跡については,上記の通り比較的順調に整理できたが,より簡単と思われた観測所跡の整理には,撮影した画像が僅か4枚と言うこともあって悪戦苦闘した。原因は観測所の場所。 | |
![]() 正面出入口 |
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![]() 側面 |
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![]() 後面 |
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![]() 内部 |
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2018.7.15開催された「千代ヶ崎砲塔砲台見学ツアー」のガイド・東京湾要塞研究家 デビット佐藤氏の案内で撮影したのが上の画像4枚。この観測所は現存しているが,場所は「日本の要塞」のイラストに記されている場所とは大きく異なる。 イラストでは下の画像の右上「砲塔砲台跡」の左⑤辺りにあったとなっているが,その辺りには遺構らしきものは全く存在せず,ツアーで案内された観測所跡は画像左下。直線距離で約270mほど離れた場所にあった。更に⑤の観測所は(地下式)となっているのに対し現存観測所は上4枚の画像にあるように地下式ではない。何故だろう? |
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